金利正常化後

まだまだ気が早いが、量的緩和が終了したら金利も正常化するだろう。その時のことを考える。出口について、ここでは問題なく移行する前提としよう。

金利が正常化するということは、金融市場での貯蓄面と投資面で市場原理が働くと想定すると考えたい。つまり、間接金融での預金や直接金融での社債とかは、リスク応分のリターンが求められるということだ。しかし、市場原理通りになるだろうか。

リスク応分ということは、リスクが判断出来る情報を入手しなくてはならない。情報の開示は十分で、情報の取得とその判断は適切に行われると考えられるだろうか。悪いが、そんな予想は全く浮かばない。なぜだろう。

情報の開示が適切言えるのは、債務不履行の確率毎の貸し出し量が明示されていることだろう。そんな情報になっているのだろうか。また、融資以外の資産も適切に開示される必要がある。海外支店も同様だ。これらは、情報提供側の話だ。

情報を取得する側として、主に個人になるが、適切に判断出来るだろうか。ペイオフ枠内で安心するだけのような気がする。高い利率に応じることは十分考えられる。それはそれで自己責任規範意識が浸透している印象はほとんどない。

つまり、市場原理が機能するとは思えないということだ。

これはこれで問題意識としては理解出来るが、破綻がなければ実害のない話だろう。

多分、問題は預貸の均衡のような話になると思う。現状でコール市場は実質的に機能していない。これが機能しなければ、金融市場の基盤が機能しないようなものだから、正常化にはコール市場の準備が必要だろう。それは中銀は理解している。しかし、市中に対しては疑いを持っている。

さらに言えば、預金だけでなく融資でも競争することになるから、その面での本来的な実力が求められるが、どうだろうか。現在の下にへばりつく金利で、ほとんど競争のないようなことを続けた怠惰が精算されることになるのだろう。海外の競争市場で実力を養っておく必要があるのではないだろうか。

本来なら、リスクをスワップする商品を開発して、その商品を購入する市場を開拓することが要請されているのだろう。しかし、商品開発と市場開拓が中途半端になっているとしか思えない。なぜだろうか。

一金融機関だけが開発して開拓も行うという話ではないと思う。詳細は各機関の範囲としても、基盤整備として話し合いを通して行政と業界の共通の理解が必要なのではないだろうか。そのような話し合いが行われる開放的土壌を作ることが先決と思う。

大切なのは経済の活性化には効率的な金融機能が必要ということだ。資金を必要とする需要者に的確な資金提供が行われることという意味になる。それが適切になる為の市場原理なのだろう。勿論、直接金融の経路も大事だ。

その観点で考えるとたどこか視点が狭いと感じるのは、どこかおかしいのだろうか。

金融政策の正常化については、今回の話の前提を疑っているが、その疑いが晴れたとしても、正常化には遠いという話が今回の主題みたいなものだ。しかし、主題そのものより、着手出来ない状況が、どこか似ていることを感じている。

どこか似ているという意味は、本来すべきことをしていないこと、という状況みたいなものだ。本来すべきことということも考えると沢山あると思う。そして、すべきことをしていないで別の努力をしているという状況に既視感はないだろうか。

いや、今回の話としては手に余る。これはこれで別の機会にしよう。