複雑分業化

昨日の日経の経済教室に賛成。筆者は以前時事問題で的確な応答をしていて好感を持っているが、その印象を除外しても、教条的鳩派への説得力ある解説だと思う。

さて、ここ数回の続きのようなことを書き込もう。

社会が複雑になってくると、生産においても複雑になる傾向を認めるだろう。その複雑な生産は供給体制も複雑と想像する。つまり、組織的機能は詳細に分業されると想定出来るだろう。

このような現代の分業化において、どのような課題があるのだろうか。

分業の統合で生産機能を構成するという認識を前提としよう。

求められるのは、一体的統合で外部と供給の連鎖が機能することであり、一体的統合の構成要素である個々の判断がこの状況で最適とはどのようなものとすればよいか、みたいな問いを考察することになるのだろう。

外部からみれば、個々の判断においても一体的統合の立場からの判断が望ましいと考えられるだろう。

一方で判断に必要な情報は単純ではないと想定出来るだろう。つまり、情報の獲得には努力のような過程が必要になるということだろう。

状況を静的に考えるなら、個々の判断に必要な情報を確定して、統合的に運営すれば上の相反するかのような両方の要請に応えることになるのではないだろうか。

静的とは、必要な情報が時間経過しても変化しないという意味になる。

ところが、動的に状況を認識する必要があると想定出来る。従って、個々の判断に必要な情報は時間経過と共に変化するということになるのだろう。

これが複雑分業化においての課題の一つと言えるのではないだろうか。

全体最適のような一体的統合に求めることから必要とされる情報と詳細に分業された個々の構成要素の判断で必要とされる情報は、動的に変化するから獲得努力と必要最小限の見極めみたいな相反するかのような評価の微妙な均衡になると思う。

均衡は、一般論として唯一解は存在しない。それは、砂山のパラドックスに類似する。

均衡の課題以前に、疎通の課題があることは言うまでもない。情報の伝達という手段がなければ、情報の質と量を評価する意味を失うのは明白だろう。

しかしながら、この明白な問題すら認識出来ない事態を目にすると脱力感しか感じない。