名優

新聞の週を通した連載で映画監督というかカメラマンというか、とにかく映画関係の人を扱っていた。面白いと思った。が、活躍出来たのは色々な人がいたからと謙遜していることに何か温かみを感じた。

中でも、超のつく名優の援護は小説のネタになりそうだ。

映画とテレビの制作の違いもわからないので、当然舞台との違いもわからない。というか、余り関心がないようだ。だが、演じる人そのものの話には関心があるから不思議だ。

一般の人間にとって、作品を通して知るくらいだろう。亡くなってから解説されることが多いので、そのような傾向を期待することも出来ない。ただ、日経の月を通した連載で掲載されることは期待する。

個別に挙げる必要はないが、名優と感じるのは作品とか評判から感じるのだろう。作品に没頭したり、興味がなければ、評判で判断するのだろうか。

名演技とは感じるものだろうか。どうも興味が筋書きを中心にしているせいか、別の役者でも構わないと考えているようだ。

感動すると、その時に演じていた役者に好感を持つという効果はあるかもしれない。そんな積み重ねで判断しているのではないだろうか。

つまり、名優と判断する根拠は作品を通した感動の経験の積み重ねと、周囲の評判という情報を根拠とするものと仮定すると、役者への評価に自信が持てない。だから、わからないとしか言えない。

ところが、作品以外での伝聞で評価を確からしくしているようなところがあるみたいだ。つまり、関心の対象を人間として捉えるなら、評価に自信がない作品を根拠とせず、人間そのものに求めているような感じがする。よくわからない。

そのような指摘に対して、同意出来るような出来ないような、不明瞭な状態のようだ。それが明確になったところで得るものは思い浮かばない。

これを全く別の領域の話として考えても似ていると思う。関心を持ちにくい分野では、評価を明確にすることは難しい。

何かが整理出来るような気がしたが、今回は無理なようだ。