状況認識

昨日のテレビ番組は、先週に引き続いて参考になった。やはり、脳を鍛えることなのだろう。

先週は、ドリブルが剣道に似ていると思った。昨日は、将棋に似ていると思った。将棋の場合は、一手にそれなりの時間的猶予があるが、行動を起こす前に状況を把握していて、行動は即座という点が異なるだけで、先読みの深さが有利である点が似ていると思う。

周囲の状況として、敵味方の位置を把握しているというような脳の情報処理の鍛え上げが番組では際立った。この点で似ているのは、自動車の運転だ。ミラーを通して後方と、勿論前方と、側方含めて常時周囲の状況を認識していると、わずかの違いに気づくことが出来る。それと似ていると思う。

見いだした監督も偉いと思う。状況認識と先読みを深く理解しているから見つけられたのだろう。常識も大事だが、常識だけでは先端の開拓が出来ないということに似ている。それなりの成果があると他の追随が見られることも似ていると思う。

こんなことを身につけるには、世代交代以上の時間が必要なのではないだろうか。それは、なんとも言えない。

単に時間があるだけでは身につかない。継続的に同じ方向の努力をし続けることで身につくのだろう。短期的効果が期待出来ないから、取り組みには戦略性が必要だ。脳を鍛えるということは、そんな地道な努力になるのだろう。

サッカーの場合、ボールの制御技術だけでそれなりに修得に時間がかかる。しかし、単に周囲の状況認識を鍛えるという目的だけに絞るなら、野球のボールでパス回しすることでも鍛えることが出来るかもしれない。その場合、効果を客観的に測定する方法を確立することがよさそうだ。

天井から競技場全体を映像化して、その映像で鍛えることが出来るかもしれない。

脳の鍛え方は、固定しない方がよさそうだ。様々な試行と検証が、そもそも難しい。短期間で如実に出るなら、既に取り組んでいるだろう。

剣道と将棋の要素があるとは、なんと奥深い競技なのだろう。それも、頂上を目指すことに努力する価値を認めるからだろうか。奥深いから魅力があるのか、魅力があるから奥深いことを見つけてしまうのか、さて、どちらが因で、どちらが果なのだろうか。