柔軟着陸

長く資産価格高騰が懸念されているとバブル進行を深く確信してしまう。しかし、対応そのものは既に明らかとも言えるから、適切な対応があれば問題を大きくしないと願う。

問題が起きても問題視されないくらいに実体経済が強固なら問題ではないかもしれない。

経済的な問題よりも、重大な問題を抱えているとバブル懸念は他人事に感じるかもしれない。

誰かの言だが、自分から周辺に自分を危険視させているとしか解釈出来ない行動を正当に考えることは難しい。

あれこれの情報をかき集めると、制御しきれていないと思わざるをえない。だから不安に感じる。

規律ある軍隊は、どのように作り上げることが出来るだろうか。やはり、先進的軍隊から学ぶことが効率的だろう。規律と統制は似ているが、どの立場で見るかの違いとも言えるし、要請理由がそもそも異なるとも言えるだろう。しかし、この点でも危ぶんでしまう。

不安とは、増殖されるものだろうか。どこかで不安を感じると全体的に不安だらけのように思えてしまうのだろうか。

第一次世界大戦は、新興国の力任せが理由になったのだろうか。その解釈と類似する状況と見えなくもないと思うのは、おかしいだろうか。

経済的なリスクは、大概制御可能だ。だから、経済的リスクだけが不安なら、進む妨げとは思えない。しかし、経済的リスクの範囲と解釈出来そうもない政治的要因は、備えるだけしか出来ないようなものだろう。また、その点だけなら、長期的には問題ではないかもしれない。

ここ四半世紀ばかりの歴史からでも、学ぶことは沢山あると思う。特に、今回は以前とは異なるという認識の問題は繰り返されると深く確信する。次の問題も対応は遅れると思う。状況の進行を確認出来る時には、対応が遅いことも歴史と同じと繰り返されるのだろう。

他国の親切が大きなお世話と感じるなら、支援策は症状の露顕しか理由にならないのかもしれない。なかなか難しい。

信用出来る信用される人間を作っておくことは外交以外でも必要なのだろう。簡単ではないから、継続して徐々に厚みを増せばよいのではないだろうか。

ドイツの金融面での一枚岩には魅力を感じるが、その醸成の理由こそ知りたい。政府債務への統一感だけではない何かがあると思う。きっと、その理由を他国が学べば、繰り返される歴史を回避出来るのではないか、と強く期待する。

よい制度だけを学ぼうとするから定着しないのだろう。よい制度の生成過程という歴史を学ぼうとするから定着するのではないだろうか。自国に自信を持つから他国から学べるのだろう。軍隊のように他国の軍隊から学ぶことに躊躇することこそ必要に思える。