経営整合性

経営の目指すものは何か。その問いには、多様性のもとに解は未定義とすべきと答える立場に立つ。

しかし、部分的に共通して了解されることもあるだろう。その一つに社会全体としての資産の有効活用があるだろう。例えば、土地の広さ以外BSもPLもが全く同じと仮定するなら、狭い方がよいということが挙げられる。

所有や利用に関係なく社会全体からみれば、その会社以外が余分な土地を利用することが出来るからだ。

このことは、土地に限らず設備やエネルギー、人員、マネー等を表現する資産という言葉が多いと理解する。

その意味で資産が少ないことがよいとされる経営指標や余分な資産を保有しないような抑制策としての税制等の制度が存在すると理解する。

つまり、この理解では、資産抑制策が機能して、経営指標も機能すれば、より有効な経営が見込めるという文脈を理解することになる。

しかし、一方で機能しているとは思わない事態に遭遇するが、これをどのように考えるだろうか。元々現実の一部を理論的に説明したものだから、説明通りになるには限界があるという解釈も、現実に機能しないことに何か問題があるという解釈も、どちらも説得力があると思う。

せっかくだから、問題を見つける可能性があるなら見つけようという動機につながるかもしれない。これはこれで歓迎すべきだろう。

空き地として有効活用されない土地を保有して、値上がりを期待することが放任されているとしたら、どこかに問題があるとして、改革に取り組むことを妨げる理由は見つからない。現在は、値下がりの時価評価は組み込まれていると認識するが、正確なところはわからない。

雇用については難しい。雇用市場が機能すれば多方面の問題解消を期待するが、雇用市場の機能より先に有能な人員の国外脱出になる懸念をもってしまう。

資産以外にも、社会全体から整合性の機能を期待するものがある。それは株式だ。

株式の保有は様々な理由があるので一概に一つの理由に限定する必要はない。しかし、結果的に所有する株式を通して会社に対して何らかの作用を考慮することは出来るだろう。

政治に対しては選挙という手段がある。会社に対しては、顧客の立場で購入という投票行動と、株主の立場で株式の所有という投票行動が考えられるだろう。

経営と社会全体の整合性は、必ずしも経営の立場からだけではないと思う。先の投票行動に擬すなら、政党或いは圧力団体としての購買グループや投資組合ということも考えられるだろう。

一握りの超富裕層の数兆円の購買力も、社会全体の消費の一握りの違いの数兆円という購買力も、どちらも購買力としてみると同じに見える。しかし、生態系という持続性を考慮すると、社会全体の一握りの違いの威力を驚異的に感じてしまう。

今朝のコラムで連想した。結局、女性の権利が向上したから出生率が少なくなったという仮説だ。恐ろしいのは、仮説を信じて女性の権利を奪う発想だ。ん?ここでだけ?