世代間の課題

今朝の日経の経済教室のように、まず課題を認識することから始まると思う。多分、隅田川さんと推測する。コラムも、本名の解説も好みだ。

制度設計は難しいだけに面白いと思う。面白いという表現は誤解を招くが、困難なことに立ち向かうならば積極的になれるなら好ましいことと考えてもらいたいものだ。

人間には様々なbiasがある。よく行動経済学で取り上げられるのは、短期的評価と長期的評価だろう。今の千円と来週の千百円のどちらを選択するか、来年の千円と来年の翌週の千百円のどちらを選択するか、みたいな話だ。

制度設計をどのような観点で考えることが出来るだろうか。恐らく、様々な観点で案を出して実験が行われるとよいのだろうが、いきなり社会的実験ということも難しいと思う。模擬的な実験から始めるのだろう。

期待したいことが実はある。それは、考え方のよい作用効果だ。人間の動物としてのbiasは逃れられないかもしれないが、抑制することも出来る。この抑制することという観点で日本は優れているのではないか、と感じている。人種としての解釈ではなく、社会的影響という文化的なものだ。

誰かの監視を意識するとは、匿名性ではなく特定を前提とする行動においての抑制機能だと考えているが、日本では特に自分が特定されていると意識することが多いことから傾向を生み出していると思うのだ。

匿名の監視も不気味だが、個別存在からの監視はその個別存在に対してよい顔をしたいというbiasがあると考えている。そのbiasを利用するということでは、いささか悪用という解釈も成り立つかもしれない。

その社会的影響の結果として長期的評価が社会的に共通の評価になる可能性に期待しているのだ。

設計と運用とは表裏の関係にあると思う。全く同じ制度設計をしても、運用が異なると全く異なる結果になることもあると考えている。それを理解しているから努力が必要という言葉が埋め込まれているのが現憲法だろう。

環境も世代間の課題だろう。括って抽象的に世代間課題に取り組むことがあってもよいと思う。漁業や畜産のように時代というより人口爆発の事態の課題もあるだろう。エネルギー課医療もある。題は沢山ある。ん?世代間は、?