雇用の流動性

今朝の経済教室もよかった。雇用の問題は失業対策と等価のように思われているが、人手不足も問題だろう。雇用市場として考えると柔軟に機能することが求められていると思う。

この話題に限らず、市場の機能について誤解しているようなことに出くわす。物理でいうバネや振り子のように二つの極端から戻るように働く力が存在しているから、ある程度の均衡状態が前提になると理解するのだが、それが魅力的と感じないのか市場機能を無視することがある。

この魅力を感じない人に魅力を伝えるのは難しいと思う。それと似ているのは、自分なりの理解のまま説明する以外の方法が思い浮かばないことだ。自分なりの理解のままの説明で理解されなければ、通じないことになる。

超越数を題材にしてみよう。この言葉の意味は、検索して理解してもらうとして、この場では下記の理解しか出来ない。

中学校で習う二次方程式の要領で、どのような多次元方程式の解にもならない数のこと

行儀のよい説明は正確な用語を使うはずだが、自分なりの理解のままの説明としては、上ということになる。

これを単純な言葉で説明して欲しいとする者が登場したとしよう。つまり、二次方程式すら説明に含めないことを求めている。どのように説明するだろうか。

また、数学の教科書通りに記憶している者が存在しているとしよう。他人への行儀のよい説明は可能だろう。しかし、なぜ超越数が特別扱いされるのか、その理由を説明出来るだろうか。

ここで問題としたいのは、本来的理解というより理解出来た感触を求める安易さということと、正統派であるべきとして行儀だけはよいが深く理解せず自分の知識としていないこと、の二点だ。超越数の理解は別にしておこう。

安易さという意味では、もしかしたら両者とも安易さを求めているのかもしれない。それはそれで面白い見方だが、ここでは説明の為に必要なものという観点で問題とした。

一つは説明を受ける側の問題であり、もう一つは説明をする側の問題だ。その理由は別の機会として、よい教師が相手の理解に応じて説明することが出来るという説明がここにある。

実は、超越数も代数とか群とか、そんなことを学習している者にとって付録みたいな知識なのだが、歴史を知ることで深く理解するだろう。ここでは五次方程式の歴史という提示で終わろう。数学に対して体質的拒否みたいな過剰反応を想像するからだ。ただ、この歴史は面白いと思う人にとっては面白い。

いや、説明をネタに続けよう。

雇用市場に限らず、柔軟性を重視すると市場機能に任せることが基本的なことのような見方が自然になる。だから、現在のタクシーの規制強化は感性があわないという脱力感を感じてしまうのだ。

感性の問題なのか、動機或いは目的が見当違いな場所に存在するのか、そんな原因追求をする発想になる。実際の理由は、新聞記事ではわからない。想像しても読めるだけの情報がない。議員立法もあるので政治の意思経路の可能性も考えてしまう。だから、旧来型政治が払拭されていないと勘ぐってしまうのだ。

どうも、政策の中身というより意思の伝達経路に問題があると感じているようだ。別の名前は感性だ。

冷戦の時代なら経営側と労働側みたいな単純な構図で理解しやすい。しかし、複雑さを増す時代では、個人はどちらにも属していると言えるだろう。業界に属するから業界の便益は統一的に認識しているとは限らないのだ。多分、この複雑な意思経路を感覚として理解していない節を感じるのだ。それを短絡的というより安易に支持層とみなすからおかしなことになっているような気がしてしょうがない。

ん?愚痴かも。