環境変化

今朝の経済教室でも思うのだが、やるべきことはほとんど共通して挙げられているのに、実行されていないだけのように思う。さて、どこがおかしいのだろう。

今回の環境は最適値探索での環境という意味で使う。最適化とは使用資源を最小化することと獲得の最大化ということになるだろう。

環境変化が少なければ、使用資源の最小化は極限化されると考えられる。

この論理で暴走が説明出来る。例えば、いじめや独裁者も環境変化がなく批判されることがなければ、現在の行動を暴走させる抑制要因がないということを示している。

それだけを根拠にすることも出来ないが、観点の提供としては十分だろう。独裁の抑制として権限の分散と牽制があると理解出来るだろう。いじめの場合も同様に対策を考えることは可能だろう。

匿名性はその点の抑制が効かないという点が挙げられるだろう。

大きな構図で言えば、制度の変更がなければ、その制度で恩恵を受ける層とその逆の層を形成し定着化するという歴史があると思う。つまり、層の定着化を明確に認識しなくても制度の変化を制度自体に埋め込む理由が存在するということだ。

会社の場合は、組織変更という手段だけで環境変化を実現出来るだろう。社会全体の環境変化としては、税や社会保障という国民の負担の変化も挙げられると思う。権利の偏在は真っ先に挙げられる。権利の獲得が恩恵層の一員と等しいとされるようなものだろう。

その意味で、現行の規制について、その変更理由がなくても定期的変化を導入する意味はあると考える。

様々な免許も同様に変化を導入する対象の候補だ。特に数十年前に取得した免許が現在でも有効とされる免許は制度設計の見直しの優先候補だろう。

免許という制度ではなく、その使用の正当性を明確にするみたいな要件に置き換えて一般的再設計をすることを考えてもよいのではないだろうか。

犯罪も環境変化がないことが一因と考えられる。抑止機能が働かないという認識は環境変化の定着化によると説明出来る。つまり、警察や証券監視が見つける能力がないと認識するからという説明になる。

もっと卑近な例で考えよう。家族の食事を用意することが当然視されていると考えてみよう。寝込んだだけで環境変化は起きるのだ。感謝しなさいということを言いたい訳ではない。