感情抑制

米中対話で中国が量的金融緩和策の出口について注文したようだ。新興国への配慮が必要だと。これはこれでこれだけなら素直に賛成するが、主張するのが中国ということに着目する。要するに遮断されず中国国内にも金融面での投資があり、かつ金融面で危うい状況という推測をしてしまう。

今朝の新聞によると金利低下は運用先に困った状況らしい。他国も金利低下していて、貸し出し金利も低下しているからのようだ。融資を借りる側が有利な状況だから、融資が増えない理由と長短リスクを考えてしまう。

一般物価の上昇を予想するなら、借金して一般材を購入して後日売却するだけで差益が見込めるという理屈があるが、実行されないのは資産効率が悪いという理由と上昇を予想していないという理由しか思いつかない。その理由はともかく、投資意欲がみられないことを考えるべきだろう。

長短リスクは、いつぞやの国債下落場面の経験を振り返るだけで十分だろう。短期で調達して長期で運用するなら、短期で高騰する場面はリスクということだ。この時の銀行間市場を注意深く監視する必要はあると思う。

長短リスクで思い出したが、郵便局はまだ定額貯金を廃止してない。これは問題ではないだろうか。現状の市場環境が永遠ではないのだから、長短リスクを抱える商品は即刻廃止すべきだろう。株主の立場なら廃止を強く主張する。いや、まだ国民の立場でも十分資格があるだろう。

さて、人間社会の諸問題の要因の一つに感情の激化があると仮定して、その抑制を考えてみる。その仮定の正当性を主張するものではない。

感情の抑制を二つの場面に分けてみる。一つは発生場面であり、もう一つは発生後の表現場面である。

表現場面としては、発生した感情に意識を集中させないことに尽きると考えている。具体的には、他の強い意識を持つことであり、別の着眼点や全く別のことを考えるということが例になる。これしか思いつかないということだ。

多分、もう一つの発生場面が有効と推測している。要するに、感情を発生させる考え方自体を変化させてしまうという方法だ。主義主張、思想信条を変更する方法にならない程度を想定しているが、この案の採用者の自由だろう。採用しないことも自由だ。

例えば、馬鹿にされることで感情に起伏を生じるとしてみよう。馬鹿にする者を可哀想に思うように考え方を変化させれば、冷静に対処出来ると考えられる。この方法でまだ経験していないから説得力はない。

そんなことを考えると、自己否定に関連するものが感情の一大要因のように思える。むしろ称賛されることが多いようにも思える。例えば、スポーツの試合で負けたら悔しいという気持ちを否定すること難しいだろう。先の方法は、これの否定ということだ。

だから、使用場面を細かく使い分ければよいのだろう。

他人の感情をどのように感じるか、ということにも大きな影響を受けるだろう。

多数派的には笑うことは歓迎されるが、当人の自慢で喜ぶ姿は敬遠気味になってくる。それはどこに根ざしているのだろうか。それまでの苦労を推定すると歓迎方向で、身についた何かや偶然は敬遠方向のような気がする。

これは社会的影響だろうか。それとも動物のような埋め込まれた本能のようなものだろうか。それなりの共通性があるなら、解明されるかもしれない。

副交感神経の刺激指向性なら、生産性向上が見込めるとする立場なので、感情を一括りにする扱いには否定的だ。しかし、制御することで何かの解明が進むかもしれない。