楽しみ

子どもを見てると、自然な人間の姿が理解出来るような気がする。

子どもが面白いと思う対象は大体共通する。それは、自分で動かして何か変化するものだ。例えば、石を投げれば何かにぶつかるが、ただぶつかるだけということにはならないから、それが面白いと思うのだろうと想像する。

成人に達した人間でも、その自然な姿を垣間見るようなことを感じる。自身で制御可能なものの変化を楽しむことは共通するように思える。

楽しむことが上のようなことだけではないだろう。しかし、上のようなことで楽しむことは想像出来そうだ。

子どもたち、親としての子どもという意味でも、何かを教えた子どもたちという意味でも、何かを伝えたという意味での世代継承を意味する次の世代に対して、健全に楽しんでいる姿は心地よいものに映るようだ。

であるならば、数年違いの後輩に対して努力の結晶のようなものを伝えて、活かされる状況を垣間見て、心地よい心境になるかもしれないだろう。ところが、微妙な結果もありえる。心地よい心境どころか、自身の給料を減らされる要因になるかもしれないのだ。

安心して眺められる状況と、存在が揺らぐ危惧を感じる状況は微妙なものがあるのだろう。しかし、多分安心して眺められる状況だから楽しめるということは想像出来る。

楽しむなら、まず安心して眺められる状況である必要がありそうだ。