地方の自主性

今朝の大機小機と知事の米国での活躍の記事に触発された。スコットランドではないが、積極的になることは歓迎したい。

少子高齢化の対策には確定した考えは、今のところ持っていない。将来への見通しがよいことは最低限のことで、子どもに対して宝物を見るような雰囲気が必要とは思っているが、まだ納得出来ない。

現在の経済的な課題は沢山あるが、外国資本の国内直接投資も課題と考えている。税とか環境整備も必要だが、積極的な勧誘の主役は地方という認識だ。その意味で和歌山県知事とかの姿勢を歓迎したい。

そして、勧誘において課題を感じると予想する。課題を肌感覚で感じるからこそ、中央政府に対して課題解決を要求することが出来る、というよりも、要求を迫られるのだろう。

だから、地方に対する政府の役割は地方を顧客とする行政サービスが一つ大きくあると考えている。コラムの王道もその筋立てだと思う。

ただし、交流の意味はあると思う。政策に直結することを目的とするというよりも、情報交換と課題の共有のようなものを目的とする交流という意味だ。その中で、例えば陰影部分で政策対象になりにくい課題を取り上げて、地方に押しつけてきたようなものを解消する動きにつながるようなことになれば、実質的な政策になると思う。

民間企業ならば、担当任せ現場任せのようなことを経営課題にするようなものだ。背を向けない姿勢が様々な問題解決につながると思う。

その意味で、地方が頑張った分だけ地方の便益になる環境が必要だろう。そんな環境だから努力するのだろう。

環境整備で思い出したが、発注の競争にも共通する課題があると思う。随分前の解説で、競争での二番以降の数値の統計から課題を感じさせるものを紹介していた。これも環境整備の一環になると思う。

個々の政策を実績として成果とすることを考えがちになると予想するのだが、地方が自主的に積極的になる環境こそ重要で、頑張った分だけ何かにつながるような発想こそ必要なのではないだろうか。その発想では短期的成果は望めないかもしれないが、アリバイ工作的政策の一覧より、よほど実効性があると思う。

なんというか、成果は積分のような感覚があり、環境整備は微分のような感覚がある。傾きの確実な微分は結果的に大きな積分になるという印象なのだ。目の前の収穫よりも、収穫を確実にする土地の開拓みたいな感触に似ている。わかりやすいのは果実で表現することだろう。しかし、その果実は今季限りかもしれない。今季というより次の季以降の継続的な収穫の方に見据えたい。