問題の大きさ

何かの未解決問題を前にして、その大きさを正確に把握出来るならば問題解決までの経路と到達距離も理解出来るだろう。しかし、未解決問題に対しては大概様々に取り組んでいるから、解決の見通しがたちにくい。そのため、大きさすら感触が掴めない。

少子高齢化の問題は、他国の事例で既に解決可能な問題と捉えることも出来るし、日本という特定の国の問題としては未解決問題と捉えることも出来るだろう。

他国のような真似をすることを最優先にすることが出来ないとしたら、その障害要因を特定して除去することになるだろう。それが出来ないという理由を分析して認識を共有しなければ、ただ未解決問題に対して努力している姿勢を示すことだけが目的になってしまうと思う。

喩えれば、大きな石を動かそうとするが、まだ誰もその石を動かしたことがない未経験な取り組みみたいなものだ。見た目から判断して、他の石を動かす経験で動かすための動員人数をある程度予測するような分析をしなければ、不足する動員人数では動かすことは不可能だろう。しかし、動かそうとする努力だけは他人から理解出来る。

例えば、同じ大きさの他の石を動かす経験をしても、問題の石の場合は砂浜で足場が固定しにくいという固有の事情があるかもしれない。その障害要因を認識しないで取り組んでいるとすれば、まるで問題外のようなものだろう。認識するから、障害要因の除去の検討とか、解決への確からしい努力につながるというものだ。

少子高齢化の場合、原因と結果がフィードバック的な関係の様相がある。経済的な将来のよい見通しが実感出来ないから少子化の原因になり、少子高齢化が経済が落ち込む原因ということもあるだろう。

江戸時代の金融緩和策は、改鋳によるもののようだ。現代では、一応BSはあるが直結する裏づけがないようなものだろう。だから、改鋳のような策はとれない。というより、BSを悪化させるとどうなのだろうか。恐ろしいことになるのだろうか。それはそれとして、デフレ対策として金融緩和の効果に限度があると考えるか、まだ効果が期待出来ると考えるか、効果があると考えるのは量を大きくすることだけを念頭においているのだろうか。

デフレ対策については、金融政策は必要だが限度を感じる。やはり需給に原因があると思う。そこを丁寧に進めることが必要なのだろう。

生産性向上が必要で、特に国内向けのサービスが大きいと思う。

取引は、多様で複雑な意思決定の円滑化が必要だろう。意思決定に必要な正確で十分な情報を拡充することは正統的な方向と考える。例えば、住宅に関する情報を建築、不動産、保険、投資家、居住者という一体として取り扱うと優れて取引での意思決定は円滑になると予想する。

それは、医療関係も同様だろう。そして、恐らく出来ないと考える理由も似ていると考える。だから、その似ている理由こそ顕在化させることが必要なのだろう。

予想するのは、それぞれの隠れた神話が存在しているということだ。隠れた神話とは、根拠もなくひとまとまりの整合的な業界特有の認識の体系のようなものだ。業界の中で信じていれば無事に過ごせることも払底しない理由と考える。そのような強固な神話が業界以外に知られずに存在しているという予想だ。

そんなものを目の前にして解決可能と考えられるだろうか。やはり、問題の大きさを把握する必要を感じる。