安全運転

量子コンピューターの番組を眠い目をこすりながら見た。まだ安定感に不安を感じるが、努力は歓迎したい。思うのは、恐らくビット毎の固有な補正を仕組んでおく必要性だ。そして、多分変動するから定期的な実施を自動化するような工夫の盛り込みだろう。また、微妙な誤差範囲の限界値の試験結果はそれ自体に価値がある。それが開発の指標になるかもしれない。

只今、全国的に交通安全の運動をしている。これを考えてみたい。

安全運転のためにどのようなことをすればよいだろうか。この問いに明確な答えがあるとしたら、明確なことがないことと考えている。禅問答ではない。

統計的に危険な箇所とか、危険な状況ということは参考になるが、あくまでも参考でしかない。この考え方は、人工知能のフレーム問題に似ている。

例えば、想定の要素を道路、自動車、人、気象といったものに分けるとすると、必ず考える必要があるのが、その他だろう。複数も考えられるが、整理の仕方次第だろう。

原因別に考えることがあってもよいと思う。死角や他者の突飛な行動、体調、不注意とか色々ある。

勧める方法ではないが、運転しながら、今事故が起きるとしたら、という仮定を沢山考えて、それを回避する方法も合わせて考えてみることを習慣にすると、実際に想定する事態に遭遇しても慌てない。

曲がり角の先に道を塞ぐ大型車がいるとか、道の真ん中の一本杉を道路の端と間違う反対車線を走ってくる車とか、その通りに出くわしたことがある。目と目を合わせた歩行者には、実は要注意だ。歩行者自身を認識してくれていると考えて赤でも渡ろうとする人は少なくとも二人は覚えている。

秋を過ぎると畑で燃やした煙で見えなくなることもある。乾いた時には、砂ぼこりで同じように見えなくなることもある。

四輪で窓を締め切っているとわからないが、前のダンプの砂が当たって痛い思いや虫がこびりつくこともある。要するに、色々あるのだ。

事故を起こさないつもりで速度を落としている人もいるが、速度を落とすことで全てを防げる訳ではないから、もしその仮定でいるなら、逆に危険と感じる。

感覚の鋭敏さの基準を持つことも参考になる。体調は日によって異なるから、鈍感な時にはより慎重にするきっかけになる。都内であれば、隠れたパトカーや白バイを見逃さないことが一つの基準になる。結構隠れていることがわかる。

都内に限るなら、後方からのバイク便に気づくことも基準に出来ると思う。バイク便は色々参考になる。運転を真似することは勧められないが、存在に気づく気づかないとか、信号のタイミングとか道路を研究していることがわかることも何かの基準になると思う。あくまでも、自分の運転の計測を目的とした考えだ。

要するに、余裕なのかもしれない。自動車メーカーの運転を職にするある人が、余裕のない姿勢で運転することで運転に余裕が出来るような努力をしたらしい。そうすると、運転しながら様々な情報を把握出来るという趣旨のことを言っていた。

多分、この情報収集を的確に行えることが安全運転の幅を広げているのだと思う。

一般的な話、抽象化は今回はしない。実は沢山含まれているのだが、ぼやけてしまうと考える。

無茶な運転は論外だ。まず、速く走っても到着時間にはそれほどの差はない。到着を早める速度はかなり危険なことを知る必要があると思う。というよりも、経験豊富な国際的なレーサーでも一般道路で事故死している事実を頭ではなく、感覚で理解する必要があると思う。

まして、児童が遊んでいそうな付近での無茶は論外だろう。

到着に余裕がない計画を避けることも考えられる。旅行なら余裕を優先に考えたい。

体調も、アルコールは論外として、寝不足や疲労は甘くみてはいけない。その状態の時は、これから事故を起こす前提とした運転であることを理解する必要がある。体調のよい時でも事故を回避することは難しいのに、回避するどころか自ら起こすという見方を徹底すべきだろう。

自分だけは起こさないはずという考えほど危険な考えはない。事故は平等にその機会はある。ただ、皆無ではないが努力によって軽減出来るし、高まる運転もあるという面も確かだ。危険な物品を運搬する場合は勿論だが、大型車は影響が大きいから慎重になって欲しいと願う。だから、無茶な運転での事故は悲しい。

よく事故にならなかったと冷や汗をかく経験が多すぎて、記憶から抹消する働きがあるのかもしれないという疑いを持ってしまうが、夜間の無灯火車が右側から出てきたとか、信号待ちしていて後方の大型車が遠くからブレーキをかけて思わず一メートルくらい進めた後に焦げ臭い匂いがしたことは思い出せる。酔っ払いがドアを蹴ったとか、そんなことを取り上げたらきりがない。ただ、事故直後の現場で忘れられない光景もあるが、触れない。

純粋に運転の参考になるのは、警察の運転、特に交通機動隊の白バイとパトカーだ。単に走るだけなのに走り方にぎこちなさがない。急発進ではないのにいつの間にか随分先を走っていることに気づく。白バイは勿論だが、パトカーも真っ直ぐ走る。だから、覆面パトカーの可能性も運転でわかってしまう。

オートバイを乗らない人にはわからないかもしれないが、白バイは上手い。そして、後方に注意していることもわかる。多分、例外はないと思う。

大型車の運転は、エコ運転の参考になる。特に、信号と登り坂。

交通安全運動については、改めて初心を思い出すきっかけと捉えることもあってもよいだろう。注意を怠りがちになりやすいのが人間だ。

もうひとつあった。同乗者の協力も必要だ。けんかしている関係はよくない。協力してもらうためには、家族と平穏な関係を構築する必要があるということだろう。また、運転が優先することも徹底しておく必要もある。急な行き先変更が危険であることも知ってもらう。

家族に運転出来る人がいると少々複雑だ。助言のつもりが邪魔になることもあるからだ。駐車や出発の際の協力を仰げる関係なら歓迎だろう。むしろ、家族の運転の際に協力することに努めたい。車庫から出る時の協力で防げる事故もある。

家族という意味では、歩行者や自転車の立場として考えることも重要かもしれない。特に、小学生以下に対しての注意もおろそかに出来ない。注意の仕方では逆効果になるから厄介だ。

今回が偉そうな話に聞こえたら謝るしかないが、気持ちとしては被害者を作らないことであることを理解してもらいたいという願いだ。事故の被害者の声、というより手記の別な観点みたいなもののつもりということだ。