年金の議論

ようこそ、日本の世界へ、という言葉にはニヤリとした。確かに、ドイツの赤字への病的な恐怖は歪めているかもしれない。

スイス中銀総裁の話は注目する。

たけし監督の話がニュースに流れていた。演出に口を出す役者を批判していた。これはこれでその通りという面があると思う。何かを決める前と実行する段階では求められるものが違う。実行では体系が重要で、勝手な部分的変更はその体系を崩すと考えるからだ。

よい例が、小説やマンガだろう。部分的により優れた表現にするようなことは、その作品を台無しにすると思う。その意味では組織の指揮系統も同様で、任す部分任される部分での最適化を考えることになると考える。

また、他の監督での役者としても喜んで参加することを言っていた。これも好感がもてる。監督は監督の役割があります、役者は役者の役割があるという認識が前提にある。役割の分担は、組織の高度化に重要な要素だと思う。

有名選手のバットを作る、その道の専門家は、もしかしたら野球を知らないかもしれない。しかし、有名選手にとって要求することはバットであって、作る人の野球の知識ではないのだ。実際には知っているかもしれないが。

さて、年金の連続解説が一通り終わって思うのは、実行ということだ。

ざっくり言えば、することに大きな違いはないのだ。連続解説で触れていないのは、国際的な異動くらいではないだろうか。外国駐在とか、外国人の就労とか、幾つかの国との継続性の約束はあるが、まだ結んでいない国も沢山ある。根幹ではなさそうだが、根幹に跳ね返ってくるかもしれない。見逃しているかもしれないが。

長く政策の影響のある分野は、政権交代を前提にすべきと考える。だから、選挙で争う分野と取り扱うことには違和感がある。勿論、否定するつもりはない。それなりの理由が必要ということを暗黙に主張している。

では、どこで議論するか、ということになるだろう。国会以外を考えるなら、それは国会の存在意義に立ち返る話ではないだろうか。

国会で成り立たないことこそ問題なのだ。そこに含まれる意味は、政府提出法案の前提があるということだろう。それを問題と感じないことが問題だと思う。

まあ、国会改革と年金との時間感覚を比較するなら、国会改革より優先する考えは理解する。しかし、問題を放置するという認識に問題視する。

時間感覚の問題かもしれないが、財政検証も国会で数値を直に取り扱う部署が担う必要を感じる。確か、OECDでそのようなガイドラインを作っていたと記憶する。その他の統計も国会内に、政府とは別に持っていることが望ましいだろう。色々と国会内の、敷地内という意味ではないが、部署を作ることを考える必要があるだろう。作らないのは、政府を批判することが仕事と勘違いしているからではないだろうか。いや、勿論批判することを否定しているわけではない。仕事が批判することだけということが問題だと言っている。

そこに与野党協力することがあってもよい。というより、政府に対する注文を積極的に作るなら、与野党の議論が必要だろう。歩みよりに尽きるはずなのだ。ところが、法案提出の段階でほぼ構図が成立している実態がある。それが問題と思わないのだろうか。

年金の話から外れてしまった。年金は国民の深い理解が必要だと感じている。どこか任せたままという政治への姿勢が余り問題にならないのは、ある意味では国民が問題と感じていないからだろう。現状では、消費税増税も許容範囲なのだ。

しかし、年金は現在の有権者以外に影響のある話で、深い理解のないままで進むことがよいとは思えないのだ。それこそ、失敗が自分に返るなら選択の自由と言えるだろうが、選択していない人が失敗の影響を受けることになるということだ。きつい言葉で言えば、無責任だろう。

だから、決定の内容より、決定までの課程に関心を持つことが国民に課せられた課題だと思うのだ。そして、その課題を認識する努力を国会に期待したい。

それとも、政府提出法案に期待するのだろうか。それがよいことなのだろうか。

率直に言えば、政府に対して国会で批判すれば、中身はともかくも偉そうに見えることは確かだ。その偉そうな姿を選挙民に見せることで選挙をくぐり抜けてきてしまったのだ。

安全な場所で汚れないことと、汚れても何かの実績を残すことと、そのどちらを国民が選ぶのか、それは国民の自由だろう。しかし、その構図を理解しているようには見えないと感じている。そこに問題を感じないわけにはいかない。

一体国会で何をしているのか、その実態を理解しているのだろうか。というより、一体誰が政治として働いているという情報と、その経路なのか、その判断材料としての情報の流れの問題に思える。

ああ、また年金から外れてしまった。

結局、年金より国会が大きな問題に思えるからだろう。これ以上は同じように国会への批判で充満してしまう。

今、わかったような気がする。始まったばかりの国会だが、その国会の記事を読んで感じてしまったのだろう。なるほど。