一隅を照らす

議員のある出費について公開する方針を示した政党がある。この出費の公開については、基盤整備が必要というより事業機会と感じる。とりあえず、信託かカード会社が交通費まで補足して会計処理と公開機能を担うなら、その政党に限らず議員や総裁の正統性を保証する業務が開拓出来ると思う。特に、公開企業や企業売買に携わる関係者に必要になるだろう。

今朝から、あるアニメ番組が始まった。多分、毎週楽しみに見ると思う。アニメを定期的に見るのは小学生か中学生以来ではないだろうか。

政治家を見ていて、似ていると感じる人の話が載っていた。最後の部分は、多分同じことをすると思う。だから似ていると感じるのかもしれない。

哲学は大体好きなのだが、反感を感じている一つが上部構造を安易に使う哲学だ。それを使った話が紹介されていて、その昔の社長に興味が湧いた。やはり、懐の深さは大事だと思う。

なぜ、反感を感じるかがわかった気がする。要するに、必殺技にしているからだ。そして、正義ものが好きになれない理由もそこにあるような気がする。そして、さらに決定的な理由ではないのに理由を一つにすることに反感を感じることに通じていることに気づいた。やはり、人間は自身のことはわかっていないようだ。

一隅を照らすという言葉は、どこかで聞いて何か消化不良を感じていた。つまり、宿題を課せられた気持ちがした。今朝の新聞で、何かわかった感じがした。また、最近の自分探しを擁護するような観点も明らかになったと思う。

その前に、前とは上の話の前という意味だが、政権に返って緊張感をなくしたという感度に目を見張った。それに気づくことは並大抵ではないと思う。どこかで何かの努力をしているからだと思う。要するに、何かに真摯なのだ。

中国の中興の祖みたいな人というか、悲劇の主謀者というか、とにかく歴史上の人物が不遇の時代を前向きに過ごしたことが決定的な理由に思える。不遇の時代に前向きだから、感度も鋭さを保ったのだろう。それと通じていると思う。

政治家に必要なものは色々あると思う。能力や人脈とか、色々あるとされている。でも、それらは途中の評価でしかないと考えている。決定的な一つに何かを必要とする強い気持ちだと考えている。その強い気持ちがあるから、人脈が出来たり、能力を補う方法を見つけるのだろう。その強い気持ちを失うなら、必要と感じられないことになるのも無理はないと思う。

さて、課題の話に戻ろう。

ある暗い部屋でなるべく少ない人数で部屋中を明るくする方法は、一人当たりの明るさを増すことと効率のよい配置という考え方は容易に理解出来る。

この問題設定への最適値探索が、つまり自分探しなのだろう。暗いところを探して明るくする努力という考え方だ。

動けないから、その位置で明るくする努力をする方法もあれば、位置を移動する方法もあるということだろう。暗いところが沢山、例えば、人間が一度に認識出来る数が百として、億の単位としよう。百の論法で自己の見方を強制するのは、百以下での成功体験に立脚するものだろう。だから、その立脚を前提にすれば、否定することは難しい。

しかし、億の単位を認識すれば、百の成功が如何に役に立たないかがわかるのだろう。

つまり、百の成功も理解出来るし、億の状況も理解出来るのだが、どちらかだけが正しいということではないと思う。

恐らく、本来の意味は、自己の周辺が暗かったら明るくして、明るくなったら暗いところを探して明るくするという意味だろうと推測する。こういう深いものがあるから見逃せない。