行程表

ドイツ人エコノミストの話に罪の意識を少々感じた。少し前に病的と表現したのに、そんな意見ではないからだ。

私的年金の話は、以前からそう思っている。そちらが主になることが望ましいだろう。

資産価格を考慮する解説は、考え落ちしている点はあるが、指標化の努力は歓迎すべきだろう。落としてる点は、国際的観点と行政による資産価格の制御と、あともう一つあったが忘れてしまった。メモしておけばよかった。

国際的観点は、現在の金融政策は実質的に国際金融市場として捉える必要があるということだ。中銀総裁たちの戦友意識の要因を説明していると思う。

行政は、現在の中国の不動産への締め付けの緩和、なんか矛盾する表現だが、そんな政策が典型例だろう。

ああ、思い出した。資産価格を金融政策の対象に位置づけるなら、オペレーションの対象という見方との整合性を考える必要があるということと、出口での国債市場への配慮が無視されていたことだ。

もう一つ余計なことを言えば、テイラールールは自動車の自動運転や量子コンピューターと似ているところがあると感じている。簡単に言えば、実現の恩恵に注目して実現することに偏っているように感じられるのだ。感じるとは、根拠を精緻に把握していないことを指す。

むしろ、限界を明確にして、許容範囲を定め、その範囲で実用的に利用する進め方の方が進化の方向としては適切に思える。人間を模した映像を自動運転で誤認しないのか、乖離した値では正常だが微妙な値では誤差が大きいとか、そんな限界を明確にすることが結局適切な方向を示しているように思えるということだ。テイラールールも、多分一定の金融環境なら実用的になるが、不確実性の高い環境での採用は困難だろう。

さて、タイトルの話をする。今回は忘れそうになるだろうから、あえてこのタイトルにした。

期日を明確にした業務での工程表ではなく、進む上での目安としての行程表とした。何の行程表かと言えば、人工知能だ。

現在の多層化の次は、報酬で、その次が世代継承と予想する。気まぐれは、行程表というよりも、発達に応じた気まぐれ機能になると考える。

報酬とは、多分言葉としては適切ではないと思うのだが、多層化の効率の良し悪しを評価して、多層化効率向上を探索する仕組みのようなものだ。

何かを多層化で情報蓄積するとして、その結果を同じとしたら、その情報元の量の少なさを基準とする効率を考えると、少量情報という志向性と表現出来るだろう。

何が効率をよくするのか、その探索する仕組みを埋め込むことが現状での当面の行程表になるのではないだろうか。

だから、蓄積する対象情報の違いによる癖は浮き出てくると強く確信する。

そして、その次は、おぼろげながら、報酬の仕組みの効率が課題になるから、蓄積情報を含めて報酬自体をそっくり取り替えて、報酬自体の効率向上に特化して蓄積を最初から行うということになると予想する。それが世代継承だと思う。

まあ、さらにその次は世代継承の効率向上といった、発達の発達のさらなる発達みたいなものになると予想する。だから、発達の累乗みたいなものになるというようなものだ。

つまり、人間よりも発達が早いものになるかもしれないという、ある意味不安な事態が訪れるかもしれない。それはそれで、まだまだ先の話と考えるか、否か、わからない。

変な話、発達だけみると累乗効果みたいに無制約になるから、人間を超えるかもしれないのだ。不安だ。

例えば、絵画の評価人工知能で、人間の評価を情報元としよう。新しい絵画は、人工知能の結果と人間の結果はどのようになるだろうか。人間の評価に補正することになるのだろうか。

そんな課題設定が必要になるのではないだろうか。