短絡化

野党の消費税に関する修正は、敷居を高くしたもので必ずしも反対というわけではない。反対と思い込んでいた。反省。

昨日、ためしてガッテンを見た。というより、聞いた。そこで色々紹介していたが、括ると発達途上では血流が活発になり、発達が定着すると情報伝達の短絡化で血流の省力化になっていると理解する。

これを日常生活の表現にすると、普段と異なる行動や思考に馴染むまでの過程では、意識して努力する必要がある。その過程が短絡化の定着ということだろう。

そして、行動や思考が馴染むと、あまり意識せずに円滑に行動や思考を行える。その行動や思考に必要な労力が少なくなる効果は、脳の情報伝達の短絡化によるものだろう。

これを相撲や自動車運転に置き換えてみよう。対戦相手の動きや周囲の車、路面、死角といった危険因子を予想したり様々な状況を想定することが、あまり意識せずに自然に行えることが短絡化ということなのだろう。この短絡化の想定状況を出来るだけ多数で複雑なものを備えると、未経験なり想定外でも対応が充分になりやすくなるのではないだろうか。

ここでは、瞬間的な判断を想定しているようなところがあるが、実は瞬間的判断に限定する必要はないと思う。情報を蓄積しながら、判断を的確に行える状況を判定することも同じように考えられる。このような情報蓄積の構図は、あらゆる場面で登場するだろう。
な人間、というより動物は行動することが優先されるbiasが働いていると考えているが、行動を先延ばしして情報蓄積を続行するという慣性も働いていると思う。その適切などこかを成功体験なり、失敗体験で経験を積むのだろう。

だから、瞬間的に判断することは、十分な経験に基づくものか、経験の裏づけのない推測なのか、大概はどちらかになると思う。それを観察することで自身を含めてある程度傾向が読めるのではないだろうか。

政治家のもっともらしい発言も、裏づけのない発言ならば馬脚を現すことがある。その馬脚を見るか、もっともらしい発言を信じるか、その違いを考える経験を積めば、何らかの判断に貢献することになるのではないだろうか。

なんとなく既に書いているようなことのような気がする。いや、確実に書いていると思う。いつ書いたかは忘れたが、同じようなことのはずだ。進歩がないのか、一貫性があるのか、どちらにもとれる。

まあ、それはともかく、昨日の番組は色々参考になると思った。

スポーツも、身体だけではなく、脳の発達という観点で研究が進歩することを期待する。それもオリンピック活動の一環になるのではないだろうか。いやいや、高齢化対策にもなるだろう。