剣道

日経の図書の賞が発表された。今年も良質な書籍が選ばれている。選に洩れても読みたいと思った。

評を読んで、政策に活かすべきと思うのだが、サービス産業は少し考えてしまう。

サービス産業の生産性のよくない企業の退出は課題と考えていた。これと似ていると感じるのは、右に掲載された評にある通り、仕事量が増えて社員を増やす方法ではなく、その場の社員で頑張ってしまうということだ。どこが似ているかと言えば、活用可能な資源を前提と考えてしまうところだ。生産性が悪くても頑張ってしまう。仕事量が増えても頑張ってしまう。今ある生産態勢に疑いを持たないということが似ていると感じる。

ただ、感じても理由は別にあると思う。社員を増やせないのは、非正規を別にして雇用の流動性がないから増やしにくいことが理由と考えている。サービス産業の退出は難しい。廃業というより転業がよさそうだが、それが容易ではないことが考えられるけど、わからない。十年分の力作を読まないとなんとも言えないと思う。読んでも難しいような気がする。

毎年、文化の日に剣道の大会がある。警察関係ばかりの中で、学生が優勝した。快挙だ。

久しぶりにテレビ観戦した。見てわかるのは限られるが、動作が俊敏であることはよくわかる。多分、試合をしたら、避ける動作を始める前に打ち込まれていることが確実だと思う。蹲踞の姿勢からの立ち上がりが円滑なのも、俊敏な動作を可能にする身体である証拠なのだろう。

剣道そのものを語ることは出来ないが、格闘技の基本を幾つかに分解したとして、その一つだけを極端に勝負要素にしたのが剣道のように思える。

格闘技の基本要素を仮に分解してみよう。相手の動作を認知すること、自身の適切な動作を選択すること、身体動作の速度や力、体力の維持継続、試合の運び方、偽の予測をさせる、といったものが挙げられそうだ。その中の脳の発達に関係しそうなものが剣道には含まれているように思えるのだ。

だから、というわけではないが、他の格闘技の参考になるような気がしている。というより、剣道ではない別の方法がよいかもしれない。例えば、発泡スチロールの棒で相手を叩く、その棒で防ぐという仮の棒叩き格闘技みたいなものも、同じような効果があると思う。

その仮の格闘技は、その格闘技で熟練することが目的ではない。その仮の格闘技を通して、格闘技で必要な脳の発達を感じることが目的なのだ。相手を観察して、少しの動作から次の動作を予想するとか、自身の動作の引き出しの多さを持つだけではなく瞬時に選択出来ることといったものが必要ということに気づくという意味になる。

ボクシングも似ている。しかし、ボクシングを含めて格闘技は一般的に危険性を孕んでいるから、危険ではない方法が必要に思える。そして、もしかしたら格闘技以外にも活かせるかもしれない。

計器類を見て、何かを把握することが出来るのも似ているかもしれないのだ。いつもと違う何かを感じとれるのは、どのようにすると感じとれるのだろうか。その疑問への解明の一人の取り組みになるのではないだろうか。

ここで思うのだが、技能で終わらせていることが実は沢山あるのではないだろうか。あの人だから出来るが、他の人では出来ないとされていることは、そんな候補になるだろう。それこそもったいない。何かの理由があるはずなのだ。その理由を解明することで、生産性が上がるなら、歓迎すべきだろう。

工場から聞こえてくる音でわかってしまうのは、なぜだろうか。それが出発点ではないだろうか。

徒弟制のよさとは、そのようなこと、つまり、観察して自身の熟練に活かそうと貪欲になることなのではないだろうか。徒弟制ではない教育で失ったものをどのように補完すればよいのだろうか。そんなことを考える。