交流区画整理

外国資本導入の為の人員増加は歓迎だ。地方独自を紹介する丁寧な発想が素晴らしい。

電力会社が購入する再生エネルギーは、価格決定の仕組みを丁寧に整備すればよいのだろう。費用を下げることは従来通り求めらせているのだから、見通しのよい仕組みが望まれる。やはり、価格の市場性は重要だ。

受賞図書によると小売業では人口密度と生産性の相関が確からしい。その点でも、政策的にンパクトシティへの流れはま認めるべきだろう。これと似ているかもしれないが、観光客の視点ではどうなのだろうか。

観光客の立ち入る地域は実態として限られているのだろうか。また、外国からを含めて他地域からの立ち入る区域を想定しているのだろうか。実態とあるべき姿という観点で考えてみる。

現状では、土地の用途別に区画が定められているが、それは都市計画を土地に限定した発想だろう。今回は、地域外から来る外来者の視点で考えてみる発想だ。もしかしたら、似たものになるかもしれないし、全く別なものになるかもしれない。

観光客を便宜的に幾つかの種類に分けてみよう。有名な観光地を目的とするもの、観光地にこだわらず日本を散策すること自体が目的となるもの、土地というより明確な目的を優先するもの、その複合型と言えるもの、そして、それらとは異なるもの、としてみよう。

観光地と一括りには出来ないだろう。都会は、観光地であり産業の地でもある。しかし、都会以外では、産業の意味合いが薄れて、観光地の意味合いが強まると考えられる。

散策を、例えば野宿や放浪者として想像すると、特別な対応は必要なく日常的な生活を過ごすだけで十分のように考えられないだろうか。ただ、ブルーシート住居を想像すると少々違った方向に見えてくる。

明確な目的とは、例えば出張や会合、観劇、観戦といったものが挙げられる。これは、土地に制約されないから、戦略的な位置づけになりそうだ。絵画や写真の対象としては、地形制約を除外すれば戦略的になるかもしれない。

それら以外としては、どのようなものがあるだろうか。歓迎出来ないが、犯罪は明確な目的になるのだろうか。経由地というものはどうなのだろう。ちょっと浮かばないから、とりあえず何かの可能性としてその他としておこう。

このように考えると、外来者を無制約に歓迎するというよりも、例えば、明確な目的を前提に外来者を歓迎する区域と制約を設けない区域に分かれることが考えられないだろうか。これは例を挙げただけで、別の例を出せば、積極的に外来者を歓迎する区域とそれ以外の区域でも構わないだろう。

これは、交通の発達と産業の発達とを整合的に計画する視点の発想だ。つまり、宿泊を含めた人員の移動の効率の最適化という考え方だ。鉄道でも道路でも、移動経路の効率化は、移動経路自体の生産性、つまり少ない鉄道や道路で運送可能な人員の多さみたいな指標を良好にして、目的達成の度合いを高めることを志向するのだろう。

この考え方だけを基準にすれば、確かにコンパクトシティの流れは認めることになるのだろう。

この手の話になると、どうしても遠い先の話から頭が離れないのだ。それは、以前にも触れたが、ミニコンテナみたいなブロック化された居住空間と、それを運搬する台車の組み合わせが、現状の自動車や鉄道になるようなものだ。かなり未来の絵を夢物語にしているから、現実離れして聞こえてしまうだろう。

そうなのだ。その発想を諦めていないから、今回でも話が先に進まないのだ。多分、無理に進めても、結果はよさそうに思えないから、やめてしまおう。

イベントというものを抽象的に考えると、平準化の流れに逆行しているように受けとめてしまう。開催そのものを歓迎一方では考えられないのは、biasなのかもしれない。この点では、開催する側の立場からの敬遠を感じてしまうから、あまり触れたくない話題なのだ。

人を集めようとすると、手軽な手段になりがちなところに問題を感じてしまうような気がしている。それよりも、その後の思い出になるようなものであるなら、むしろ歓迎したいというような感じ、と言えば通じるかもしれない。

十年後でも覚えているようなイベントは、恐らく長続きするのだろう。これも、起業と似ているのだろうか。試さないとわからないし、数多く試せるわけでもないだろう。なかなか難しい。

その点、花は自然に咲くから、毎年イベントを開催しているようなものだ。これに接する方法を編み出したのが、季語を使う日本の芸術なのかもしれない。深い。