ロボット表現

派遣の改正が問題になっているようだが、よくわからない。以前の解説では、特に問題を感じていないという記憶がある。単純労働と専門的労働では異なる部分があるが、一人の労働者からみれば知識が高まったり熟練度が増すことが重要で、その機会が失われるならば理解出来るが、よくわからない。

正規と非正規の同一賃金については、姿勢としてはよいと思う。ただ、運用としては難しいだろう。同じ仕事という定義だけで明確にすることは難しい。

どこかで誰かのコラムを読んで、その通りと思ったのは、日本以外では、正規非正規に関係なく、一様に解雇が難しいか、一様に流動性がある。しかし、日本では、正規の解雇が難しいのに比較して、非正規が容易である。ここに様々な矛盾が含まれているということで、一様に流動性が増す為の前提の整備が必要と思っている。

教育や研修の費用を含めた機会の充実と家計の耐久性だ。産業として高度化志向ならば、大学を中心とした教育機会の充実が必要だろうが、方法が確立しているわけではない。また、家計の耐久性は要するに潜在的国民負担の低減だろうが、住宅や教育の耐久性の観点もある。多分、潜在的国民負担、言い換えれば政府債務と税金、社会保障の負担を減らすことが家計の耐久性を増す本筋だろう。

現在の仕事に不満で、より高度な職に就きたいとして、収入を得られていなくても教育を受けることを想定するならば、上の解になると思うのだ。

勿論、前提の充実と並行して流動性が増すことも考えられる。転職で生産性が上がることは互いに喜ばしいことだから、その理由での流動性が進むことは不自然ではないだろう。

どこかで、怪しげな理屈になっているような気がする。なんらかの思惑が理由なら、ある意味では仕方がないかもしれない。しかし、本気で目的を遂げようとして理屈がおかしいならば、問題と感じる。そこが、よくわからない。

さて、前回書いてから、関係者を限定しやすいロボットの工業や物流での利用ではなく、限定しにくい商業や遊戯での利用は、人間との情報伝達手段という観点で進化する機会と考えた。

人工知能のネット接続したロボットが始められる話があって、公開時での想定は家庭向けだったようだ。違っているかもしれない。しかし、その後食品関係の会社が商品案内に利用する記事を読んで、何かにつながる感触があったが、人間との情報伝達手段を進化させる機会ということに気づいたのだ。

人間からロボットへの情報伝達は、当初から色々と考えているだろう。また、ロボットから人間へも、それなりに考えているだろう。しかし、ロボットから人間への情報伝達手段には、画像や音声に限定しているのではないだろうか。

人間の身体に相当する部位で、端的に表現することは、実は重要なのではないだろうか。

色々想定出来るので、ここでは予断を排除する意味であまり触れたくないのだが、周囲に複数の人間がいる場合に情報伝達相手を特定するとか、忙しくして相手に出来ないとかの情報を動作で表現するようなことは、情報伝達相手以外の人間に対しても伝わるということが、実は重要なのだろうということだ。

これを記号化と考えてよいだろう。端的な意味を記号化された動作で表現すると、その解釈の一意性は社会的に意味があるということだ。

これには、言語関係の研究者の参加が必要に思える。言語に限定しなくてもよいが、記号を研究しているという観点だ。

詳細な情報伝達の手段は映像で構わないだろうが、機種依存になりやすいだろう。しかし、機種に依存しない共通化された伝達手段ならば、誤解が避けられて不幸な事態にならずに済むかもしれないのだ。

そして、今朝の解説でも思ったが、世界的に同じようなゲームというより、ここにしかないというゲームは魅力ではないだろうか。ミニチュアの自動車にカメラを積んで、無線で操縦すると、F1並みの体験になると思う。いや、縮尺で比較すれば簡単にF1以上になるのではないだろうか。

これに戦艦大和とか、アニメで登場するロボットとか、その操縦のような、まさにこち亀の世界の遊戯は魅力的に思えるのだが、どうだろうか。

かなり現実味のある話だから、もしかしたら既に存在していて知らないだけかもしれない。それはそれで考えなければならない。