機会費用

今日も飲んでいる。何か見つけたのだが、忘れていたと書くつもりで今思い出した。

多分、夕刊が配達されるところでは知らないと思うが、今週は歌手だ。その小学校時代の話が載っていた。やはり、小学校時代は大事だと思う。というより、小学校の先生次第になるのかもしれない。

金融関係の組織の長の話で、少し不安が和らいだ。努力が不足していると思っていたが、きちんとやっていると思う。特に、マッチングの感性は素晴らしい。この感覚があるなら、多分大丈夫だ。

今回の大勲位の話は、中国地方の元トップの話と合わせて、重みがある。米国大統領に認められる日本の相当は、限られるのだ。今、国鉄の時代を知らない若者たちは歴史になるだろうが、国鉄の歴史に欠かせないと思う。

そうだ。思い出した。大新聞の大物が、私の履歴書を書いていることに、当時の大物の証拠物件をチラリとした話があった。なかなか、面白いというか、小説だよね。

中国との交流は頑張って欲しい。その中国の元首相に薫陶を受けた人間が、中国の政権にいる限り、多分心配はないし、慢心してはいけないと思う。酔っているから、誰かを細かく書けないが、中銀総裁職と法治のトップだろう。薫陶とは、触発されることに象徴されると思う。

さて、機会費用というものをどのような場面で有効に利用出来るだろうか。代替選択肢の存在が前提だろう。

少し似ていると思われるのは、寄与概念での選択肢だろう。寄与とは、与すること、追い風勢力のようなものと考えてよいだろう。

つまり、追い風を選択するか、向かい風を選択するか、その選択の場面では、基準軸からみれば正負の関係になるだろう。選択しないことを選択肢に含めれば、三択と言えるかもしれないが、比較することで数値化出来ることという構図そのものが似ているということを主張しているのだ。

単独では、評価しにくいことも、別の何かで比較することで評価の支援になっているのだ。

追い風になることで、何がよいことになるか、その評価がしにくいのは、比較対象がない単独事象だからだ。向かい風になることとの比較で、理解の支援になるだろう。

5→8
の変化と
8→10
の変化では、どちらが大きいのだろうか。そして、既に現実で示されていることを、単独事象として明確に問題視しているのだろうか。

酔っているから、言ってしまうが、算数の話を別の話にする利点がわからない。思惑は尊重する。しかし、いかにも説明出来る話かのようにしていることが算数を知らないのか、笑い話を提供しているのか、それさえもはばかれるようなことだろう。

それよりも、仮に税率が同じとして、レジで増えた分が明確になる抑制効果の方が大きいとするのは、説得力がないだろうか。耐久財は想定しても、日用品の説明では説得力があるように思えるのだが、どうだろうか。