すっぴん障壁

今日の動員数で理解した。多分、身柄を預けた方がよいと思う。でなければ、移動の援助が欲しい。

因みに、明日の夜はここで飲んでのんびりしたい。それらとは別に腹を割って話したい。早い方がよいのか、遅い方がよいのか、わからない。

いつ終わるか、わからないので、とりあえず書いた方がよいものを書く。

多分、超低周波の電磁波は見つかっているのだろう。仮説として、重力の変化率のようなものがその原因ではないだろうか。もし、そうだとすると、エネルギー一定の原則から何かが減衰するか、無から有の対称性の破れと同じようなものが考えられる。減衰は、その仕組みというか、作用の存在が重い浮かばないから、破れの方が有力に思える。とすると、永久機関の出現が可能になるという、誰も信じてくれそうにないことになるのだ。

もしかしたら、いわゆる重力波の検出より簡易な検出ということかもしれないということだ。

書く勇気を褒めて欲しい。と言いたいくらいの衝撃がある。

タイヤの円をみると、接着面とは逆の天頂の面は進行方向と逆に動くから、速度が大きいとさらに大きな空気摩擦のようなものになる。とすると、例えば、形状の工夫でタイヤの上部に対して、逆の空気の流れを生み出すと、摩擦は減じるのではないだろうか。自動車も鉄道も、同じだろう。

会見の解釈に、政治利用の提供という親切心があることに、後から気づいた。多分、これが有力だ。うん…?

組織の自浄能力が組織を長寿に維持すると思う。これは記事を読んだ実感だ。

さて、題の話だが、表現は適切ではないと思う。まず、説明しよう。

遠隔会議の障壁に気づいたことに、何か別のものがあるような気がしていて、それを考えていたら、一つ気づいた。

女性の場合、化粧をした顔との違いが大きいこともあるらしい。まるで別人に見えるという話だ。

つまり、他人に別人の顔を見せることが出来ないという、化粧する負担とか、その類の障壁だ。

そして、このような障壁の存在を公開の場で認めたくないという心理こそ、今回の本題だ。

つまり、例えば、題のような表現で、公式の会議で使用することを想像すると、認めたくない心理からみれば、使用される度に心の傷を受けることになるのだろう。

このような公開利用を避けることが隠語のようなものになるのだろう。これらを一括りに利用の共通基盤のようなものが考えられないだろうか。

基盤とは、例えば対応表のようなを指す。

これも、勇気を褒めて欲しいものだ。体験した記憶は多分ないと言いきりたい。

決定関与経路

代替政策だけではなく、補完政策もあることに気づいた。政党の連立の場合は、補完的になるかもしれない。

早慶比較で劣っているかのようなニュースを目にした。出身の日露との外交に活躍した元首相二人は頑張ってもらえるだろうか。

政治の決定の場には色々あると思う。国全体と地方の違いや、議会と行政、それと実質的な案の作成というもので考えると、決定関与の経路を整理してみて、どのようなものが適切かを考える為の材料になるのではないだろうか。

いきなり道州制を考えるよりも、その構図の整理の方が順番として先のような気がするのだ。

例えば、広域行政として抽象的に考える方が、その具体的な生々しさから離れて落ち着いて、問題を冷静に認識出来るように思えるのだ。

仮に、広域を狭小との比較としてみよう。

対象地域について、一様にすることでの利点は、規模の効率というものがある。しかし、必ずしも一様と言いきれるだろうか。中心部には濃密なのに、周縁部には希薄という疑いを払拭するという根拠は、どこにあるだろうか。独立性が高い地方の理由は、周縁部的な不安と理解する。

だから、周縁部的配慮を担保する仕掛けが必要ということにならないだろうか。この仕掛けは、恐らく共通する要請だろう。そのような共通する要請を色々洗い出して、課題を共有することをしてないと思うのだ。

何か夢物語が存在しているかのような包括概念で、存在を事実化してしまうと、着実な形成過程を確認しないことで、結果を要求しているようなものだろう。

これが、同形の構図で理解出来るのだ。着実な形成過程とは、その過程を具体的にすることであり、その過程で使用する資源を明らかにすることが必要だろう。

この包括概念を全く別の観点で表現してみよう。

指揮命令系統という概念は、大きさに関係なく使えるだろう。組織なら重要な概念だ。特に、軍隊では顕著だ。

何かの決定を所管する部署を明確にするという前提があるが、これで窮屈と感じることもある。この窮屈に感じるということを指揮命令系統への機動性負担としてみよう。

簡単に部署が二つあるとして、何かの所管がどちらに存在するか、明らかではないという状況は、その典型だ。その典型例では、所管が事前に明らかな場合に比較して、明らかにする過程が必要という負担が理解出来る。この負担を機動性負担の例と出来る。

というように、ちょっと面倒だが、そのような必要な過程の認識を共有することを主張しているのだ。

前もって準備してから書き込んだ方がよかったようだ。今回は失敗を認めて、尻尾を巻いて逃げることにする。

沖縄

今朝の新聞で昨日の会見を確認した。確かに微妙に触れているが、重要なのは財政規律の責任を政府・国会としたことだ。政府ではない。

これをどう読むか、二通り考えられるだろう。一つは、悲痛な叫びの意味。もう一つは、余裕で皮肉を込めているということだ。さて、どちらだろうか。後者なら、誰が悔しがるのだろうか。

日常の言葉として、補完と代替は似ていて、経済学的にも似ているが、意味は異なる。例えば、ある商品の類似品は代替的な場合と補完的な場合がある。要するに、市場が広がるか否かみたいなものだ。

総選挙の場合、補完的ではないだろう。当選者数は固定されているからだ。ということは、総選挙を市場としてみると代替的戦略が望ましいだろう。つまり、与党と代替的な政策が適切な戦略だろう。これは、理論的に導かれる結論ではないだろうか。

今からでも、選挙に有利な、有利と断定は出来ないが、有利という見方も成り立つという意味で、再増税延期に反対すべきではないだろうか。

よくある話として、顧客の担当者が代わることはありえるだろう。その場合、前担当者から引き継ぐことになるだろう。前担当者の仕事を批判するだけで、責任をもって引き継ぐことを放置することが許されるのは一体どのような立場なのだろうか。

ここに、魅力的な主義主張の政治と、政権を引き継ぐ責任を重視する政治の違いが理解出来るのではないだろうか。

政府は、国際社会とも約束しているが、日銀とも約束しているのだ。昨日の会見にある通り、国会の責任として、先延ばしに反対する大義名分があるのではないだろうか。

与党二党で過半数に達しない場合でも、先延ばし反対の少数政党が連立の大義はある。なぜなら、現在までのアベノミクスを否定していない上での先延ばしだけ反対だからだ。アベノミクスを評価する政党を拒む理由は、先延ばし反対を引っ込めるだけでよいのだ。これで、少数政党でも先延ばし反対を掲げる大義がもてるだろう。

くどいから今回でやめるが、既に与党から公約らしいものが出ている。別に与党だから反対する意図はない。ただ、仕訳には色々な温床があるから、あの固有名詞に汚れてもらいたくないというbiasはある。

まあ、それはそれとして、試みに与党公約の対案を考えてみよう。

消費税は、所得税に比べて、低所得者の負担が重い税制ということが、一応の共通認識だろう。なので、与党公約が出てきたが、費目を決めることに難があるので、有力な対案は対象を制限しての給付金だろう。難は対象の絞り込みだが、費目に比べれば汚職の温床にはなりにくい。これも、与党への代替政策と言えるだろう。

与党公約への代替政策という簡単な図式にならない政策を考えてみよう。

沖縄は、先の知事選で前職に新人が勝ったという状況だろう。政権を引き継ぐ立場でも、野党の立場でも、何かの政策を掲げる意味はあると考えられる。

例えば、沖縄修学旅行で、米軍基地を見学或いは、周辺地域立ち寄りを条件とする補助金制度というものだ。

色々な見方があると考えられる。

全国の高校生に米軍基地を明確に意識してもらうことで、反対に有利とも、米軍に親しむ機会とも、また安全保障に関心を持ってもらえるとも、どれもありえるだろう。

沖縄への修学旅行が増えることが期待出来るから、沖縄の経済に寄与するという見方も成り立つだろう。

また、修学旅行への補助金制度を通して、少子化対策の意味も考えられるだろう。

なかなか、ものごとは単純に割り切れないものだ。もう少し発想を豊かにした公約を掲げて欲しいものだ。

ロボット課題

今朝の日経の解説の一つにある通り、日本人は会社への不満を我慢しがちだ。多分、いざこざやもめ事を嫌う文化的背景があるのではないだろうか。

ある有名な創業者が、社員の不平をカーブの滑りに喩えていたような記憶がある。違って記憶しているかもしれないが、タイヤの性能が高いと速い速度でカーブを曲がれるが、限界が高いと限界が破れたときが大きいというようなことだったと思う。別の何かと混同しているような気もする。

日銀の会見を要点で読んだ限り、落ち着いたものだ。その意味では、落ち度の一つとしたことは否定されたようだ。

あまりにも正々堂々と正攻法に徹しているから、正攻法に慣れていないことがよくわかる。それは、搦め手を攻める方法が常態化しているから、ということが窺える。

まず、野党議員は野党で共闘することだけを最優先に主張している人の言葉を聞くべきだろう。慌てふためいて、本来認識すべきことを見失っていることに気づかされると思う。その気づきこそ重要なことを歴史、特に戦前の政党の歴史に学ぶべきだろう。

ここでの書き込みから情報として獲得すべき知識の類ではないと思う。自ら考えて理解する知識ということだ。勝手な思い込みこそ邪魔な障害ということにも気づくと思う。

それで気づかなければ、どこかの何かが問題なのだと思う。ここでは親切な説明をしていないから、それが理由かもしれない。

さて、ロボットの特集が連載されていて、対象領域の広がりを感じる。何か、新たな段階に進化したようなものだ。

今までは、非現実的な機能の実現というような取り組み姿勢が当然で、それは決定的に重要な開発過程は、機能実現、つまり、どのような部品とどのような組み立てという設計と製作という流れが当然だった。現在でも、設計と製作はしっかりと開発過程の主流の地位にあるだろう。

しかし、この設計と製作の生産性が向上すると、決定的に重要な過程、つまり、競争の主要戦場が移動すると思う。それが、この特集で特徴づけられていると思う。そんな課題洗い出しが出来やすいのも、様々な分野と交流しているからということが、特集から想像出来る。この交流を育む環境が素晴らしいと思う。多分、ロボットだけの話ではないのではないだろうか。

よく異文化交流ということが言われるが、単純に異文化の情報を獲得することや、考えの進め方の違いを自らの進め方の参考にするという話だけではないのではないか、と考えていくことが出来るように思える。

ものの捉え方として、比較すると、出発点と終着点がそもそも違っていたり、決定的に重要な過程が違っていることで、違いが浮き出てくると思う。

そうすると、過程そのものの発達には、何か共通点があるかもしれない。それは、もしかしたら、科学技術の経営学かもしれない。

どうしても、目の前の作業に意識が集中してしまいがちになるが、それを俯瞰的に見ると、共通点が見つかり、より生産性が向上するということを期待したい。

再増税賛成

熊本の件は邪推だったようだ。

しかし、牛尾さんに自由な意見を褒められた議員がいるくらい懐の深い自民党のはずだから、そんな意見を聞きたいと思った。

さて、再増税について整理しよう。

記憶を辿ると、首相に増税反対の意見を述べたのは、参与二人とノーベル賞受賞者だ。それが全てではないが、かなり強く影響していることは理解出来る。

増税賛成の立場としては、日銀総裁IMF専務理事が代表的だろう。G20の場での発言は重い。

昨日の速報値以外にも、経済状況を判断する指標は沢山ある。成長率はその一つでしかないだろう。例えば、失業率か景気判断の指標というより、経済政策の対象のようなものだろう。

そして、来月には改定値が出てくる。

また、明日日銀総裁の会見がある。

つまり、先延ばし決定は、日銀総裁の会見を無視し、来月の改定値も待たずに解散に踏み切ることを意味する。

昨日の速報値は、読み方は、色々ある。

予想以上に悪化していることは、民間予想でマイナス値がなかったことで事実と言えるだろう。

速報値と改定値で違いが大きい項目で大きな予想の違いがあると考えると、改定値を待つ必要性はあるだろう。また、その項目は四半期での変動幅が大きく、かつ、よいマイナス値とも評価出来るとも考えられる。

要するに、読み方は色々あるのだ。よい方向にも、悪い方向にも読めるのだ。どちらか一方に偏るものではない。

そして、現状で失業率が悪いという話は聞いていないから、その意味での経済状況が悪いという評価にはなりにくく、速報値だけで経済状況を語っているようなものと言えるだろう。

先延ばしと緩和策の出口戦略の整合性の見通しがなければ、乱暴な先延ばしかもしれない。何かの根拠となる説明を待たなければ、確かな判断は出来ないが、整合性での観点も重要だ。

これらから、再増税は予定通り行うことが適切で、今夜先延ばしを決めるのは、別の重要な点がなければ安易な決断と考える。

だから、先延ばしに反対することには大義名分がある。

解散は一般的には、与党が有利だ。野党は、理不尽な解散に一致して戦うことが、国民に対する真摯な態度だろう。

明日の日銀総裁の会見を無視するほどの緊迫した状況があるのかもしれない。あれば、それが与党の大義名分になるだろうが、なければ理解出来ない状況と言えると思う。

日銀総裁の会見では市場を意識するから、出口戦略に触れる可能性が低いが、仮に先延ばしが予定外ということであれば、日銀に対する約束不履行のようなものだろう。これは大きいが、市場に配慮して大きな声では言えない。

しかし、G20でのIMF専務理事の発言は、政治的利用を大いにすべきだろう。これも、野党が戦う立派な理由を説明している。

失業率その他の経済指標で、来年増税予定時期の悪い状況を予想出来るものがあるのだろうか。

5→8
の増え方と
8→10
の増え方では、どちらが大きいのだろうか。

それより重要なことは、三本目の矢は二年間で出ているのだろうか。確かに外交の成功は認めるが、元首相二人の手柄ではないだろうか。これは推測でしかないので確かではない。

このような、野党に有利な状況を利用しないことがむしろ不思議だ。

蛇足:
解散は、隠密活動が自然で、陽動には意味があるはずだ。その違いすら気づかないなら、説明してくれる人の説明を聞くべきだろう。ここでは既に触れている。

数学的説明と道徳的説明を、ここで説明する人間の評価を無視出来る説明と無視出来にくい説明としよう。数学とか道徳とかの言葉自体に意味はない。

例えば、数学の偉い学者でも計算の間違いは間違いで、小学生でも正解は正解だ。貧乏な人の金儲けの話や太った人のダイエット法には、なかなか信用がしにくいだろう。

他人の説明を数学的説明として聞くトレーニングを積んでいると、陽動の説明が素直に理解出来るだろうが、トレーニングを積んでないと、上の違いすら気づかないだろうし、他人の説明も思い込みで別の解釈をしてしまうだろう。

しばらくぶりに蛇足を使ってしまった。

速報

日経の今朝の社説はどちらも賛成。沖縄は、社説のように何か誇りを傷つけられていると感じることが要因だろう。宇沢先生の成田に、どのように関わったかは詳しくは知らないが、多分参考になると思う。構図として共通するものがあるから、調停の場という基盤の提供になるかもしれない。

教育と研修は、貪欲に取り組むべきだ。従来なら、企業持ち出しの研修に対して、個別に適切に地方が何らかの対策をすることも有効だろう。なんと言うか、研修市場のようなものが形成することに期待する。

日印金融協力は歓迎だ。恐らく、取り組みの経験が途上国の参考になるから、取り組み経験を残して欲しい。

飛行機が水滴で傷を負うことから、高圧での切り出しを発想することが素晴らしい。やはり、何かの事象から役立てることにつながるのは、そのような敏感な感性があるからだろう。

既に目的が明確で、方法を探索する場合と、無目的なのに方法が探索出来る場合があるようだ。多分、どちらも感性が重要だと思う。

言語力とコミュニケーション力の違いを疑問に感じる素朴な感性みたいなものが、とにかく貪欲に脳の発達に貢献していると考えている。

同じと考える立場もあるだろう。また、異なるとする立場もあるだろう。違う場合の違いにも違いがあるだろう。ん?表現が適切ではない。

発明の解説を読んで思ったが、昨日の写真の人のように邪魔されない環境は羨ましいと思う。例えば、努力して、賞とかでマスコミ対応することを喜ぶ人もいるかもしれないが、多分、喜ぶより邪魔されたと感じるだろう。個人の懐に入ることを喜ぶ人もいるし、研究環境が贅沢になることを喜ぶ人もいるだろう。それが多様性だろう。

多分、研究環境がよくなることで、研究の生産性が向上する報酬形態が最大効果と思う。だが、領域を狭いままにすると、深まり方は次第に漸増になるかもしれない。だから、幅広い領域を対象にしたり、幅広い交流が必要になるのだろう。

遠隔会議みたいなものへの別観点での障壁に気づく感性は大事だ。何かに気づくことがいかに重要なのか、それを理解すると、他人の気づきにも感じるものが生まれる。この種の活用には、夢物語志向になりやすい。だから、着実な過程を明確にすることと、活用限界を承知しての夢物語になればよいと考えている。

さて、GDP速報値が出た。予想でマイナスがなかっただけに、マイナスの発表には驚いた。しかし、セクター別でみると四半期での変動が大きいのが足を引っ張っているから、多分次の四半期ではよくなると思いたい。そう、明確なbiasだ。わきまえているつもりだ。

今日の発表で、延期を支持する割合は高まったと思う。それはそれでありえるだろう。でも、六割を占める個人消費はプラスだから、大きく悲観的にみなくてもよいのではないだろうか。ん?biasかもしれない。

増税云々より、まず予想との違いの原因だ。それを明らかにして、それから考えることが必要だろう。また、改定値で変わる可能性は、このくらいになると、想像しにくい。

あとは、行方を見守ろう。

それより、成長の政策だ。これは増税に関係なく進める必要がある。これが最大関心事に思えるのだ。報道されないだけに、進んでいることを期待するしかない。

地味に細やかな施策の記事があるから、それはそれで歓迎だ。大きな政策は、どちらかと言うと実効性より注目を集める効果だけになりやすいと思い込んでいる。勿論、biasだ。その思い込みからは細やかな施策ばかりが安心出来る。

飛耳長目

写真の掲載に驚いた。日経ビジネスに載ったときはシルエットだけだったと記憶している。中国がわからないというのは多分正直なところだろう。中国自身もわかってないのだから。

今日も飲んでいる。昨日のテレビで眠い。

元知事のニュースが出ていたが、もったいない。まあ、影響力だけでも貢献するだろうから、それはそれでよいのかもしれない。しかし、もったいない。

昨日のテレビで思ったのは、やはり経済学も十五年くらいの発展があったということだ。それと、人間の評価と、学問上の説は別とすべきということだ。

今の学生なら、多分内生的成長理論だろう。その祖のようなものだから、学ぶ対象になるとは思えない。そして、その間でも脳関係の科学の発展が影響していることがよくわかった。この話は飲んでないときがよいだろう。

人間として尊敬するガリレオも、微分積分がなかっただけで、業績の評価と学問上の説の評価との違いがわかるだろう。先輩の仕事を否定してしまうのではなく、進化や成長と考えたいものだ。

空間経済学ということは、クラスター集積効果の解説の?それで、ガウスアインシュタインが出てくるのは面白い。数学と物理のどちらも、分野以外からは有名な人だ。分野の人間でもそうだろうが、ガウスは歴史上の人だけど、アインシュタインはまだ生々しい。

数学で有名な人は昔の人程、分野以外の人間には馴染んでいる。例えば、ユークリッドはその典型だろう。そして、ヒルベルトになるとどうだろう。

その点、物理は分野以外で有名な人は沢山いる。これは、ノーベル賞の賜物だろう。

しかし、確率積分を考えるとどうだろうか。なんか、分野以外の人に有名か無名かで、片方に肩入れしたくなる。

あ、確か確率積分は賞、しかもあの名前の賞をとったと思ったが、あれ?

ちょっと、不確かな物言いに恥いる。

さて、題の四文字熟語は初耳で、初めて調べた。

調べた先でも、偉人の話が出ていた。これはこれでなかなか考えることがある。

多分、偉人の場合は、書くことより、それを評価することが重視されたのだと思う。要するに、情報の取得を大切にしたのだということだ。なぜ、その情報に気づいたか、そしてその情報がなぜ重要なのか、他人との違いを理解する道具に使ったのだと思う。

なるほど、偉人が偉人になる理由がわかるように思える。単純に教える行為ではなく、考える道具を用意したのだろう。だから、教え子たちの活躍につながったのだろう。すばらしい。

もう一つは、度々読み込む習慣だ。これは、若者への言葉の一つに復原力というものがあったが、これを地でいくことだろう。この習慣は他人には無効かもしれないが、何かの習慣で復原力とするのは必要だと思う。

平時では、その価値がなかなか理解出来ない。修羅場をどれだけ経験するか次第だろう。経験した後に修羅場という感覚を通り抜けていることで実感すると思う。

それにしても、写真を深読みしてしまう。次の人が確実にいる証拠を自信をもって示したのか、特段の意図はないのか、そんな深読みをしてしまう。恐らく、前者だろう。