決定関与経路

代替政策だけではなく、補完政策もあることに気づいた。政党の連立の場合は、補完的になるかもしれない。

早慶比較で劣っているかのようなニュースを目にした。出身の日露との外交に活躍した元首相二人は頑張ってもらえるだろうか。

政治の決定の場には色々あると思う。国全体と地方の違いや、議会と行政、それと実質的な案の作成というもので考えると、決定関与の経路を整理してみて、どのようなものが適切かを考える為の材料になるのではないだろうか。

いきなり道州制を考えるよりも、その構図の整理の方が順番として先のような気がするのだ。

例えば、広域行政として抽象的に考える方が、その具体的な生々しさから離れて落ち着いて、問題を冷静に認識出来るように思えるのだ。

仮に、広域を狭小との比較としてみよう。

対象地域について、一様にすることでの利点は、規模の効率というものがある。しかし、必ずしも一様と言いきれるだろうか。中心部には濃密なのに、周縁部には希薄という疑いを払拭するという根拠は、どこにあるだろうか。独立性が高い地方の理由は、周縁部的な不安と理解する。

だから、周縁部的配慮を担保する仕掛けが必要ということにならないだろうか。この仕掛けは、恐らく共通する要請だろう。そのような共通する要請を色々洗い出して、課題を共有することをしてないと思うのだ。

何か夢物語が存在しているかのような包括概念で、存在を事実化してしまうと、着実な形成過程を確認しないことで、結果を要求しているようなものだろう。

これが、同形の構図で理解出来るのだ。着実な形成過程とは、その過程を具体的にすることであり、その過程で使用する資源を明らかにすることが必要だろう。

この包括概念を全く別の観点で表現してみよう。

指揮命令系統という概念は、大きさに関係なく使えるだろう。組織なら重要な概念だ。特に、軍隊では顕著だ。

何かの決定を所管する部署を明確にするという前提があるが、これで窮屈と感じることもある。この窮屈に感じるということを指揮命令系統への機動性負担としてみよう。

簡単に部署が二つあるとして、何かの所管がどちらに存在するか、明らかではないという状況は、その典型だ。その典型例では、所管が事前に明らかな場合に比較して、明らかにする過程が必要という負担が理解出来る。この負担を機動性負担の例と出来る。

というように、ちょっと面倒だが、そのような必要な過程の認識を共有することを主張しているのだ。

前もって準備してから書き込んだ方がよかったようだ。今回は失敗を認めて、尻尾を巻いて逃げることにする。