クール ライセンス

清貧生活をして、直接生産に関与していないが、将来社会に貢献することが確からしい人を対象に発行する何らかの証しを考えてみる。

一般的に、生産活動のための知識や経験を積むことは現代の高度な付加価値産業において、生産性向上の大きな要因と考えられる。その文脈からの要請は、流動性の為の客観的評価の仕組みだったり、共有可能な知識や経験を積む場の提供だったりする。本来的には、その努力が求められている理解の一方で、それらの環境整備の困難さも理解する。

つまり、雇用の課題からの要請と社会の多様な価値観の醸成を理由として、先の清貧生活の支援の試行に意味を見いだせる。

具体的な例を考えてみる。実は、対象は何でも構わないはずで、試行にあたっては、歪みを排除することが優先されるべきだろう。

マンガの周辺関係者とその候補者、具体的には、マンガ家のように直接マンガに携わる者や編集者、アイデア提供者といった者たちをライセンス保有の対象者にする。

ライセンス保有者の権限は、打ち合わせの場を安価で利用出来ることでしかない。場の提供をする店は、利用可能な旨の告知と、利用毎の請求を可能とする。つまり、そこには、何らかの手続きを要する。当局は請求に基づいて所定の支払いを実施する。

予算枠次第では、飲食代も対象とする可能性はあるが、清貧の趣旨から課題と考える。

具体的発行手続きやその要望がどの程度あるかは、わからない。別にマンガでなくても良いし、ライセンスの特権は清貧なものとするなら、大規模な予算を心配しなくてもよさそうだと思う。

恐らく、大事なのは、選ばれた感、だと思う。逆に言えば、選ぶことに難しさがあると考える。

マンガやアニメの稼ぎが思わしくないのは、ディズニーと対比すれば良いと思う。収穫は数十年単位と考えるくらい、長期でじっくり取り組む姿勢が必要だと理解出来るだろう。連載が終わっても、今でも人気があるものが対象になると想定して、その支援として考えることが多分本筋のように思う。どうしても、現在の人気に縛られやすいので、営利目的なら冷静に判断すべきと考える。

個人的には、マンガより数学とか机上理論限定の学問と思っているが、支持されにくいことも理解する。

日本の外から、日本を見ると日本の良い部分がくっきり理解出来るのではないだろうか。上記のような政策が試行されたら、危機感を持つ国は多いと思う。恐らく、その感度の敏感さ、または、鈍感さ、が問われている。