国内投資

国内への投資と比べるとしたら、何と比べると何がわかるだろう。

比べる対象を想像するだけで、その想像する人間の興味対象がわかるかもしれない。

現代と過去、特に経済が好調な時代との比較は面白そうだ。

国外との比較は本筋だろう。しかし、国外への投資と、国外からの投資がある。このどちらか一方になるとしたら、関心が狭いのだろう。

投資の内容が大事だろう。短期的か、長期的か、みたいな違いもあるし、対象分野もあるだろう。

大事なのは、いつでも逃避出来る証券を通した投資か、長く回収が見込めない直接投資か、みたいな違いもある。

ここで気づいたが、日銀も結局金融政策の限界から成長を期待するしかないことになっているようだ。そこは日銀に限らず政府に対して主張する必要があると思う。主張していないなら、怠慢だ。

怠慢と感じるなら、義務感みたいなものだろう。そこまでの主張は主流ではないだけに異端を覚悟する経済学者の登場を望む。

ここまで書いて、やはり今日も飲んでいることを自覚した。何度となく同じことを言っているようだ。

経済政策を短期的期待で評価することが、国内市場関係者からの要請のように思える。しかし、本来あるべき姿としてなら、外国の投資家の方がよっぽど正統派みたいな意見に思える。

集団的自衛権もそうだが、細かい技術的な話は得意なのに、文脈としての哲学を語るような論が政策論争になっていないことに不満なのだ。

労働関係の緩和も、いきなり細かい話になっている。ドイツで成功したことから学ぶのは、技術的な政策ではないだろう。学ぶべきは哲学だろう。

と、やはり飲んでいるようだ。飲んだ勢いで語ることは避けなければならないと思う。