起業時に撤退の話

時々聞き及ぶ、ある大手企業の創業者が、子会社を起業する時に、その会社の社長になる人に、その時点で撤退をいつするかを聞いたらしい。一応条件らしいことは、答えたらしい。確か、自己資本が底になったらと記憶している。答えた社長の話だ。その感想は前向きで、その社長に好感を持っただけで読み終えただけだったが、ある時、別の会社の話で、子会社の撤退を子会社の社長から言い出してくることを待っていたということを聞いた。なんでも、親会社の方から命令的に撤退を切り出されたら、撤退を諦めず頑張ってしまい、結果的に大きな損害になっただろうということだった。つまり、先の話の創業者は、起業時に、撤退まで視野に入れて、子会社の社長に頑張り過ぎない配慮をしていたということだろう。子会社の社長の感想も、似たようなことではあったが、実感を持ってまでは理解できなかった。この件に限らず、この創業者に関しては注意するようにしている。他にもあるが、今は触れない。撤退の話には、色々考えさせられる。重要な点は、経営上の問題を開放的に話し合えることだと思う。問題を先延ばしして、結果的に問題を大きくしてしまうことへの臆病なまでの警戒心こそ、理解したいことだと考える。その歯止めには、警告の為の客観的要件を予め設定しておくことは基本的なことだろう。しかし、それだけで、免責かのように扱うのは、理解不足だと思う。情報の経路の工夫だったり、なんらかの方法を編み出してなければ、経営上の経験に疑問を持つ。これに類似することは、経営だけに必要とされる警戒ではない。部下に仕事を依頼して、どの程度失敗して経験として積んでいるかが問われる。全て順調とか、責任を他人に押し付けるとかでは、経験を積む機会は訪れない。少し、一般化しよう。株主の立場からの警戒と、国民の立場からの警戒としてみよう。依頼したことは何で、その結果の報告とは別の情報経路はなんだろうか。例えば依頼内容と報告は、株主総会や国会かもしれない。では、別経路は何だろうか。新聞とかは含まれるだろう。それすら、遮断している場合もあるかもしれない。枠組みとしては、類似する状況は数多くあると思う。恐らく、無意識に実行している場合が多いと思う。つまり、大抵の人は経験していると思う。例えば、他人の失敗から学ぶこともあるし、家族に用事を頼んで失敗したこともあると思う。それが活かせないとしたら、理由は何だろうか。考えてもいいかもしれない。