規制市場

規制市場のあるべき考え方は、情報非対称性の解消問題と同質で、評価を唯一とせず多様化する枠組みで捉えることが望ましいと考える。

従来の規制市場の捉え方を既存市場参加者の保護重視とするなら、その仕組みを破壊するような制度変更に対して抵抗するという見方が一般的なようだ。この文脈でも構わないが、現状認識を精緻にする努力の効果には疑問がある。多分、基本的に激変緩和策だろう。

あるべき市場とは、多様な評価で成立することが、結果的に本来の原理で最適化されると考えられる。

例えば、タクシーの評価には、価格、安全、安心感、乗り心地、快適性、と様々挙げられる。そのどれを重視するかは、個々の顧客の評価に依拠する。つまり、多数の中の自車を顧客に選択してもらおうとする努力を否定することが、市場原理を歪めていると考えられる。

この例で考えると、適切な規制には幅があると考えられる。そのどれが適切かを決める手順の明確化が透明であることこそ、市場原理を支える仕組みの一つだろう。

さらにこの例を続けると、市場参加者を取引参加者と限定して考えてみよう。価格は当然売買の取引量に応じるから、その原理と、他の市場との比較市場の原理が働くと考えられる。つまり、運転手にとっては、雇用市場との比較が働き、顧客は、バスや自家用車、徒歩との比較が働くというようなことだ。

そんな様々な要素を考慮して何かを決めることが困難だという認識を共有して、初めて上の話になるのだろう。

一般的に選択の自由度があると、このような原理が機能すると理解されている。だから、規制市場への取り組みは情報非対称性と同質と考える。丁寧な透明化が期待されていると思う。

制度変更という結果を直接的に求めるより、規制に対する哲学みたいなものを洗い出す作業と予想する。だから、地味だ。迂遠なようだが、確実に到達すると確信する。

雇用市場は難しい。しかし、教育訓練に対する補助は正統的だと思う。そして、価格に関する一部の労働価値説の根拠は、最低賃金とかマイナス所得税に求められると考えている。恐らく、購買力平価みたいなものが必要なのではないだろうか。

雇用の流動性、それ自体を否定出来ないが、教育訓練や評価の充実とか受け皿が先行することが望ましい。利用が経済的に成り立つなら、生態系化ということになるのだろう。工夫だろうか。

税理士と会計士の分離問題というものがあるようだ。どんなことが良いのかはわからないが、個人にかかる税金は税理士が望ましいような気がする。相続税の納税者範囲が広がったのは、この対策という見方は伝説だろうか。もし、そのような理由なら歪みでしかない。