女の子の意志

しばらく前スーパーマーケットの飲み物売り場で小さな女の子が頑なな感じで立ちはだかっていた。多分すれ違った親子は女の子の母親と兄なのだろう。なんとなく状況が理解出来るが妙に印象的だったので今でもその売り場に行くと思い出す。

多分、母親に何かをねだって断られたのだろう。しかし、それでも我を通したのだろう。女の子はよちよち歩きを卒業した程度の二、三歳だと思う。三歳くらいで記憶の仕組みのようなものが変わるらしいから、微妙な年齢だと思う。

妙に印象的なのは女の子の意志に感じるからだと思う。もう少し早く到着していれば詳細を把握出来ただろうが、そこまで立ち入る理由もない。

親の立場からみると我を張る我が子は厄介だ。しかし、第三者からみると興味深い。というより子どもの立場を冷静に眺められる。子どもを尊重出来るのは、義務感みたいなものがないからだろうか。親の立場では子どもの気持ちをいちいち汲み取るのは煩わしいし責任を放棄している可能性すらあるだろう。

どちらの側に立てるだろうか。どちら側にも立てるなら、両方を同時に応援すればよいだろう。どちらかだけなら、逆の立場を応援すればよいだろう。

子どもの頃を思い出す人は希少性がある。いや、二、三歳の頃を思い出せる人という意味だ。しかも、他人の状況を忖度して実感出来るのはすごいと思う。

今回も飲んでいる。

その売り場で高い商品でもお札一枚程度なのだ。だから、別の売り場のことをひきずった状況だったかもしれないし、冷たい飲み物で腹下しを心配したのかもしれない。わからない。

ああ、わかった気がする。泣かなかったのだ。女の子は泣かなかったのだ。泣くことが武器になることを理解する年頃なのに、その武器を使用しなかったのだ。

なるほど、妙に印象的だった理由がわかったようだ。

だとすれば、やはり我を通す意志を感じる。

さて、どちらを応援しようか。