平衡と均衡

ここでは平衡を出入りの量と保つことが可能な量が変異しても状態を維持できることとする。均衡は、平衡の局面的表現のようなもので、ある方向に働く作用と、その逆の作用がある範囲に収まっていることとする。

歴史を俯瞰すれば、権力の偏りは破られてきたと思う。これは社会的には権力について平衡を求めていると理解すると納得する。

何らかの量が偏ることは破綻するまで偏り続けるか、破綻する前に均衡の仕組みが暫定的にでも形成されることになるという構図で理解すると、何らかの量の偏りを問題と認識することになる。

富の偏在への均衡の仕組みをどのように考えるだろうか。一応、税と分配の仕組みは存在していると認識する。

それで十分と評価するか、不十分と評価するかは自由だ。しかし、不十分と評価するなら、その仕組みはどのようなものが考えられるだろうか。

富の偏在が長期的に継続しても破綻しないという評価もあるかもしれない。

ここでの破綻とは、富の偏在を一気に均すことを指す。革命的手段なのか法的手段なのか、それはわからない。

そのような不安を認識するから、富豪の大規模な寄付行為が行われるのかもしれない。

偉大なノーベル賞は、いわば寄付行為のようなものだろう。単に相続税で多額の納税になるより、歴史に残るような残し方への大幅な減税は社会的に意味があるかもしれない。

仮に、兆円単位で残すことを考えてみよう。ノーベル賞のライバルの賞を作ることの可能性は高いと思う。そして、大きな意味があるだろう。

例えば、ロボットや人工知能に関する長期的工程というより行程を示して、途中の目標に達した段階での賞ということは、単に産業の振興という意味を超えると思われる。

既存に寄せることもあってよいのではないだろうか。

富の使途については、別の回に譲りたい。しかし、富の偏在を反作用効果で抑制するなら、使途の妨げをなくすことも反作用効果と言えるのではないだろうか。

富豪ではないから心配しないということではないと思う。