煩雑化
複雑と煩雑、混沌、面倒といった言葉は類似しているように思える。複雑という言葉以外は何か副次的意味が強いように思える。
煩雑と面倒は似ていて、煩わしさを表していると思う。
混沌は、混乱のように秩序の反対の概念のようなものだろう。
複雑は、単に単純の反対を表しているだけで、副次的意味は特に感じない。
おおっ!今回は飲んでいてもピリッと鋭い。
つまり、煩雑という状態にさせることは、相手或いは他人に煩わしさを感じさせる意図があると解される。
物事を煩雑化されることは、解決に至らない意図があるのかもしれない。
物事が集結に向かう状況という認識を共有している時に、問題を提供して煩雑化させてしまうことがある。周囲から見れば、完結に向かう文脈に突然新たな章が追加されたようなものだろう。
問題を提起する者から見れば、より広範囲の観点で課題を認識するので、問題を予期するのだろう。だから、煩雑化の意図は全くなく、むしろ歓迎される事態と認識しているようなものだ。だから、歓迎の反対のような姿勢に違和感を感じるだろう。
誰の何が問題と言えるだろうか。
誰の問題でもないし、誰も問題とも言えるように思える。
当面、煩雑化させずに、問題が顕在化するまで放置することが望ましいのだろうか。問題が顕在化する前に解消することが望ましいのだろうか。
キューバ危機以外に、第三次世界大戦を抑止しているかもしれない。ただ、それを誰も知らないということだけかもしれない。危機を救ったことを喧伝することが評価されるのだろうか。
朝三暮四とキューバ危機は、同形のようなことを含んでいると思う。
いや、煩雑化の話としては、努力と成果のような話をするはずだった。忘れてしまった。次の機会にしよう。