野放図な中国の金融

影の銀行と言われている、中国の規制市場以外の金融市場に、当局への登録の要請があったようだが、今朝の日経新聞によるとネット上は洩れているらしい。

この話からは、野放図な印象を持つ。しかし、逞しさも感じる。規制がないため、恐らく問題は起きるだろう。それはそれで、認識としては日本の感覚との比較では、当然かもしれない。

しかし、逞しさが真っ当な方向に向かうなら、規制がないだけに先進的金融を確立する可能性がある。つまり、金融の出し手と受け手の情報の対称性について、誠実に取り組むならば、ネット上での先進的金融が確立する。

何が金融の本質なのか、それを突き詰めると資金を必要とする者の情報になる。業界に詳しかったり、会社の業績に明るかったり、そんな未確定情報を含めて、返済の停滞や確実な成長性を判断して、資金の出し手になるから、判断や情報収集を暗黙的に委託した金融を当然と考える日本の感覚では、概念として存在しないようなものだ。

規制がないから、問題が起きることも織り込んで参加する逞しさがあると考えると、情報の対称性に誠実に取り組む誘因が発生すると思う。なぜなら、情報を遮断して金融が機能する理屈がないからだ。逆に情報を開放的にしていくことで、金融が機能していく実感を持てば、より開放的にする気になると考えられる。

米国東部のように、金融のプロ化で発達する方向もあるが、西部のように起業市場で仲間的に情報の精度を上げる方向もある。どれが最適なのかは、わからない。わからないからこそ、規制市場以外の実質的な金融市場には、金融の発達する方向の模索の可能性がある。

情報を重視する観点で、ネット上での市場には、既存にはない圧倒的な速度がある。この感覚が理解出来る人はすごいと思う。

逞しさと速度がかみ合うかどうか、それはわからない。しかし、可能性は否定出来ない。日本では、野放図な金融はありえない。闇金融という廃退業界しかないからだ。

中国の金融は、しばらく目が離せない。不安な意味で注目していたが、その不安は消えなくても、別の視点で光るものを見た思いだ。中国は、中央政府の集権的政治が機能する部分と機能せず野放図な実態の部分がある。もしかしたら、その野放図な実態に任せた方が効率的と読んでいるかもしれないが、そこまで読み通すほど余裕があるとは思えない。恐らく、機能しない政治だからだと考える。面白い。