改版

自動車のモデルチェンジやソフトウェアのバージョンアップといったものは、書籍の改版に似ている点がある。これを抽象化して考えてみる。

抽象化した改版をなんらかの継承と内容の変更・追加としてみよう。この定義では、江戸幕府明治政府は改版の関係と解釈することも、その関係ではないと解釈することも出来る。

改版実行者の立場なら、構想とか計画をたてるだろう。つまり、現行に対して新版とすると、新版の次の版も計画の対象になるだろう。

改版の各項目に関して、同時に改版の対象になる前提があるが、改版に複数の項目の時期を違える意味を考える。

改版に二項目あるとして、同時の変更は一つの改版と考えられる。この場合に二項目の変更時期が異なると、改版より小さな意味の改版とされることが多い。これを小改版と称しよう。いわゆるマイナーチェンジとかマイナーなんとかの類になるだろう。区別する為、小改版に対して大改版とする。

さて、大改版と同時に改版項目を合わせる意味を考える。つまり、大改版に多くの項目を集中することと、小改版を多数重ねることの比較として考えてみる。

比較もせずに、一度に大改版の対象とすることがよいこととされているとではないだろうか。

平準化の観点でみると、多数の小改版の方がよいと思われる。

複雑さが増すならば、尚更平準化の観点で疑問を持つ意味があると思われる。一体的に確認する必要性があるからこそ、大改版に多数項目を埋め込む同時新規性の危険性を意識する必要があるだろう。

改版項目の規模を計測するとして、抽象的にはどのような概念になるだろうか。影響や関連の範囲ということにしてみる。一つの大規模項目の存在が直ちに大改版を意味することになるが、影響範囲の総量という概念で比較することになるだろう。

具体例で考える。江戸幕府から明治政府への大改版を考えてみよう。統治機構の変更と同時に多数の変更が行われた。これを検討及び実行する人員は無限ではないから、対象項目が少なければ影響範囲の確認等を適切に行えた可能性があると考えられるのだ。

あれこれ満載にしたくなる気持ちと、幻想に囚われず冷静に判断する思考は異なる。気持ち優先になりがちなのか、自らを判断する必要があるように思える。

影響範囲の大きさは、級数的に増大することを実感する者に説明の要はない。実感しない人に説明する言はない。

別のbiasを仮定しているが、話が別の方向に飛んでしまうので割愛する。

話を単純にすれば、細かく改版することが結果的に省力化すると考えられるということだ。